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カテゴリー: おやじ

おやじの新書発売のお知らせ

この度、「サムライ精神を復活せよー宇宙の屋根の下に共に生きる社会を創る/荒谷卓著」が、並木書房から出版されます。
おやじこと荒谷卓が、自衛隊に30年、明治神宮に10年、一貫した目的で生きてきた結果、なぜ「熊野飛鳥むすびの里」を創設したかがわかる本です。
近日中に書店、ネット上での予約が開始し、2月5日からはamazonで販売開始となります。

以下、新書の「はじめに」から抜粋。


私は、平成20年に自衛隊を辞職し明治神宮に奉職しました。そして自衛隊での体験を総括し自らの生き方を確認する意味も込めて、『戦う者たちへ』を発表しました。

本書『サムライ精神を復活せよ』は、武道場館長としての10年間の体験を踏まえ、あらためて自らの生き方を内省し、今生において私が同志と共に為すべきことを整理したものです。

私は「至誠館」での10年間、武道を通じて日本の伝統的精神文化を国内外の人々に発信し、いま世界が必要とする崇高な価値観があることを伝えてきました。とくに海外での手ごたえは想像以上のものがありました。その一方で、せっかく世界の人々が日本の精神文化の価値観に気づき関心を持ってくれているのに、当の日本人が自分たちの文化を忘却し自覚できないばかりか、戦後は卑下する傾向さえあります。
そうした日本人に、今いちど日本文化を再考し、よりよい社会の創造に取り組んでもらいたいとの思いで本書を執筆しました。
私の文章は論理的ではなく感覚的なので、真意がうまく伝わらないのではないかと危惧していましたが、前著『戦う者たちへ』を発表したことで、多くの敬愛すべき同志と知り合うことができました。これは、私の人生にとってたいへん幸せなことでした。
私は 一武人であって、神道、哲学、社会学について学術的に論証することはできませんが、それでもこの原稿を公にするのは、同志とともに夢を実践したいという強烈な思いがあるからです。

本書は五つの章から成ります。

第一章「学び─自分の成長を実感する」では、問題意識の所在と人間の成長について論じています。

第二章「中心と循環─産霊(むすひ)の思想」では神道について

第三章「強さと道義」では武士道について

第四章「伝統精神を継承する」では社会思想と歴史について書きました。

第五章「和する社会を取り戻す」では全体のまとめと生き方について述べています。

願わくば、まだ見ぬ同志の笑覧をいただき、私たちが目指す「宇宙の屋根の下に共に生きる家族のような社会を創り為す生きざま」に共鳴していただきたいものです。

むすびの里の紅梅の花一輪が開花しました。

季節としての四季は、単に春夏秋冬を毎年繰り返すサイクルではありません。今年の竹林は去年なかった若竹が勢いよく生え、落葉樹の葉は新しい若葉です。自然界のすべてが一年をかけて成長して変化しているのです。
人間も、自分自身が自然の一員としての体験を積み重ねれば、周囲の変化の中に、常に新しい発見があり、その発見を通じて自分も成長していることがわかります。日々、草木が成長するように、自然の一員たる自分も一年分の経験を積み重ねて着実に成長しています。心も身体も、決して去年の自分に戻るわけではありません。つまり、四季は繰り返されるサイクルではなく、経験という成長のスパイラルなのです。自然の変化はすべてが成長であり、自然とともに生きて成長する「学び」は豊かで無限です。

「おやじについて」ページに動画を追加

「おやじについて」ページに動画を追加しました。

神谷宗幣さんが代表を務めるイシキカイカク株式会社の運営するCGS(Channnel Ground strategy)で公開している、おやじとの対談動画を、「おやじについて」ページに追加しました。

その1からその4までありますが、その4ではむすびの里の設立について言及しています。

是非ご覧ください。

還暦祝い

飛鳥町小阪本郷皆さんと本郷の庚申さんで還暦祝いをしました。

お祀りの後は、「餅まき」。

還暦祝いの人と厄払いの人が、郷の人たちに向かって一斉に餅とお菓子をまくと、みんなそれを拾い集めます。
この時、まき手もひろい手も一つになって喜びます。とても気持ちの良い伝統行事です。

少しずつ、飛鳥の共同体の一員として認められていく喜びを感じた一日でした。

新年のご挨拶

新年あけましておめでとうございます。

新しき年、新しき月、新しき日に当たり
飛鳥神社の歳旦祭に参列させていただき
御皇室と国民一丸となっての弥栄を祈願いたしました。

熊野飛鳥むすびの里
おやじ荒谷卓

新年の抱負

私は、昨年10月、同志と共に、三重県熊野市飛鳥町に移り住み、共同体創りを実践することにしました。
ここでは、交換価値という資本主義的な尺度から離れ、「相互に助け合うこと」「世のため人のために力を尽くすこと」に価値を見いだし、共に生活し共に生きることで、自らの内に守るべき日本を顕現します。
私たちが守るべき日本は、主権、国民、領土などといった近代に作られた抽象的概念ではなく、文化、伝統といった日本が日本たる実態です。なぜなら、自分が日本人になることなくして日本を守ることなどできないからです。
せっかくですから、夢は高く持って、日本全国、さらには全世界において、自立した文化共同体社会をそれぞれの自然風土の上に打ち立て、相互に敬意と信頼で結びたいと思います。これによって、ひとつ屋根の下に全人類が共生できるよりよい世界を創造することに貢献しようとするものです。
私たちは、今後手を携えていく同志と共に、この活動を通じ、ポスト・グローバル資本主義の時代を「大丈夫(ますらお)」の気概を持ってリードする実践的挑戦者として自己を位置づけ、伝統慣習文化の上に未来を築く現代の武人(たけきひと)でありたいと思います。

今、私たちが見ている星の多くは、人類が生まれるより前に消滅しています。その星々が活きていた過去に生成され、放出されたエネルギーが、数億、数十億光年かけて、今の宇宙を循環している様を私たちは見ているのです。
同じように私たちは、過去に祖先が創造してくれた無形・有形の遺産のおかげで、今に活きています。そして、今、私たちが為している活動が、未来の子孫のために役立ちます。
私たちが今為している創造活動が、全体として統合されたエネルギーになるには「時」が必要です。異なる時代の複数の場所から生まれたエネルギーが、ある時、ある場所で結びつき統合される。つまり「時」は、遠く離れた空間にあった個々のエネルギー活動を統合する次元軸です。
そう考えれば、過去の人々の意思と行動がエネルギーとして今の私たちに還元し、今を活きる私たちの意志と行動は一体と成って、未来のエネルギーを創造していることがわかります。
今の私たちの意志は、今すぐ成果として顕れなくとも、エネルギーとして「時」を循環し、いつか未来の人たちと一体となって輝きを増します。
「時」は、空間と時代を超えて個々のエネルギーを循環させ統一するフィールドであり、過去の今が現在の今に還元し、現在の今が未来の今に還元するのです。

「今」を大事にすることは、過去の出来事に意義を持たせ、よりよい未来を作ることにつながります。逆に「今」を無駄にすることは、個人のみならず人類の、そして地球の自然の営みとこれまでの努力を無駄にし、子々孫々の未来を破壊することにつながるのです。
「今」この時に、人間一人ひとりが何かを為すことは、「時の中心力」を増す、とても意義のあることです。
祖先の霊エネルギーが今の私たちと一体となっているように、未来の誰かのため、地球のために力を尽くすことで、私たちの産霊エネルギーは子孫の中で生き続けます。
過去から未来に生きるすべてのものとの一体感を自覚し、今この時に力を尽くす。それが、私たちが宇宙に生まれてきた重要な意義だと思います。
私たちは、物質としての肉体の共有はできませんが、心や精神や霊の共有は可能です。光エネルギーも、熱エネルギーも、力エネルギーも、物質のような境界はなく、交われば統合された一つのエネルギーになるように、私たちの意志のエネルギーも交われば一つのエネルギーとして統一した力になります。
「自分のために」というエネルギーは、ほかの人と共有できないので広がりを持たず、その人の死で終わります。
「世のため、人のために」力を尽くそうという思いは、人類と自然の成長発展に貢献しようという思いにつながり、そこから生成されたエネルギーは、同じ時代に生きる人々のみならず、時を超えて生きる人々の心をも感化し共鳴させます。そして個々人の努力が一体化して地球と宇宙を創造し続けるのです。
一人ひとりの努力は、ちっぽけなものではありません。私たちは、「今」という「時の中心」に存在しています。私たちが「時の中心力」なのです。その時の中心力を増せば、歴史は力を増します。私たちが中心力を減衰させれば、歴史は力を失います。
今が、「時の中心力」であること自覚し、力を尽くせば、人類の歴史に光をともし、よりよい世界を創造し、地球と宇宙を進化発展させることができると信じ、この新たな1年、一日一日を精いっぱい生きてまいります。

おやじ 荒谷卓

自衛官合宿終了

12月24日~30日の間に開催された自衛官合宿が終わり、60名の参加者全員、大きな成果を持って帰路につきました。

合宿の最後には、地域への奉仕活動として、県道52号線から七里御浜を眼下に見る長尾山に至る林道の清掃奉仕。

最後の宴は、その日の朝、熊野灘で捕れたワラサとカツオ、さらに赤倉水産のアマゴで杯を交わし、仲間の絆を確かめ合いました。

これで、国の守りは大丈夫!

自衛官合宿の中日に、大又川で禊をしました。
ここ熊野市飛鳥町小坂の寒さは厳しいですが、参加自衛官の強い希望で体の感覚がなくなるような冷たい水の中、「大祓の詞」を全員で奏上しました。
清々しい禊でした。

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何かをやろうと思い立ち、あるいは、自分が正しいと信ずることを遂行しようとしても、最初から最後まで万事うまくいくことはありません。数々の障害にぶち当たり、時には何かを犠牲にしなくては前に進めない状況に出くわすこともあります。
自分より強い相手が自分の進路に立ちふさがれば、自分の意志を放棄するか、負けを覚悟で戦わなくてはならないこともあるでしょう。たとえ覚悟ができて戦っても、その覚悟が一時の興奮であったり、他者から命ぜられたものであれば、戦いの最中に何のために戦っているのかわからなくなってしまうことすらあります。
どんな状況にあっても冷静に考え、適切な判断が下せ、身体が自由に動くようにするためには、事前に自分が守るべきものをしっかりと定め、それ以外のものは捨てても悔いのないような心境になっていることが重要です。
そんなときに役に立つのが禊です。武士が朝夕に禊をしたのは、常にそのような心境でありたいと考えていたからです。
冷たい水に身をさらすことは、自分の強さと弱さに対峙することであり、自分自身の内省につながります。自分の考えは本当に正しいといえるのか、身を削いで自問し、自らの内にある
「直霊(なおひ)」に問うのです。
「そんなつらい思いをするならやめる」という程度なら、最初からやる価値がないか、本気でやる気がないのです。
身を削ぐような冷たい水に身をさらし、「直霊」に問いかけて、自分の思いを成し遂げようとすることに確信を得たならば、迷わず毅然として実行に移します。自らの雑念を禊みそいで「直霊」を発露し、神々に近づいた心境の自分でいれば、自分はもとより、周りの人々や、時には敵対する人さえも清々しい気持ちにさせます。