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女性天皇と外戚政治―愛子天皇擁立は日本の消滅を意味する

国体を維持するうえで、最も重要な問題が皇位継承である。そもそも、皇位継承を含め御皇室の諸事は、本来、天皇と御皇室がお決めになることであり、臣民が関与すべきものではない。

皇位継承に限らず、日本の文化は「家」によって保たれてきた。文化人類学的にも日本の家族構成は父系家長制縦型家族に属し、家の継承は家長たる男子が決定すべき事項であった。日本の家において女性が家長になることは基本的にはない。ましてや国を持って家と為す国家の家長たる皇位継承において、女性が皇位につくなどということはあり得ないことであった。

こうした皇統の伝統的決まりごとに危機が訪れたのは、皇紀千二百五十二年十一月三日蘇我馬子による崇峻天皇弑逆事件である。天皇が「蘇我馬子は内に私欲を欲しいままにし外は偽り。如来(仏)の教えを興すといえども誠に忠義の情なし」と詔するほど、渡来宗教である仏教に囚われ尊皇の精神を失い、渡来人(東漢)を使って崇峻天皇を弑逆し寶御位まで奪おうとした蘇我氏の台頭であった。蘇我氏が権力を手に入れるために取った手段が、「娘を天皇の后に入れ、その子を天皇にし、外祖父として権力を握る」という外威政治である。

これによって、男系男子の天皇が継承してきた伝統的皇位継承が断絶し、女性天皇(推古天皇)が即位した。日本の歴史を変える大事件であった。幸い、後に男系男子天皇が即位したことによって皇統の断絶は回避したものの、日本の父系家長制という伝統的習わしは破られ例外を認めざるを得なくなってしまった。

この奸臣によって天津日嗣の皇統を犯した女性天皇の悪例が、その後も奸臣によって屡々悪用され、天皇の権威を犯し権力を悪用することに使われた。

父系が変われば王朝が変わることになる。したがって、女系天皇は皇統断絶になることは言うまでもないが、これまでの日本の歴史上、女性天皇も権力を握らんとする奸賊による皇統の危機であることに変わりはない。

では、一つ一つ女性天皇の歴史を振り返ってみよう。最初の女性天皇である推古天皇即位は、第32代崇峻天皇を殺害した蘇我馬子によって為された日本の歴史をかえる政変であった。日本書紀に記されている「天皇弑逆事件」である。仏教を使って権力を拡張してする蘇我氏の邪心を警戒した崇峻天皇を、蘇我馬子が、現在の奈良県高市郡に拠点をおく中国系渡来人東漢氏を使って暗殺したのである。すでに、政敵で崇神(廃仏)派である物部守屋達を滅ぼし権力を独占していた蘇我馬子は姪にあたる(推古天皇の母は蘇我馬子の姉にあたる蘇我堅塩姫(きたしひめ)、祖父は蘇我稲目である)推古天皇を天皇にたてた。

次の女性天皇は、第35代皇極天皇、そして重祚して第37代斉明天皇である。本来、皇位を継承すべき聖徳太子亡き後は「日も月も光を失い、天地も崩れたようなものだ。これからだれを頼みにしたらよいのだろうか」皆が悲嘆にくれるほど、蘇我馬子の子である蘇我蝦夷が権力を独占し国政を欲しいがままにしていた。天皇にしかできないはずの紫冠を我が子である蘇我入鹿に授け、その入鹿が、蘇我氏の血を引く皇極天皇を擁立するため有力な皇位継承者である聖徳太子の子・山背大兄王を攻めた。山背大兄王は、蘇我氏と戦をして民百姓に迷惑をかけることを避けるため「戦って勝ったからと言って大丈夫といえようか。我が身を捨てて国を固められたら大丈夫と言えるのではないか」として皇位継承争いをせず妃や一族共々自害された。このような経緯で皇極天皇が二人目の女性天皇に即位する。

皇極天皇の御代に、皇位までを奪おうとする蘇我入鹿を中大兄皇子と中臣鎌足が誅殺する。これが「乙巳(いっし)の変」である。蘇我蝦夷も自害し、蘇我氏の権力は衰える。そこで、このような私利私欲で権力を勝ち取ろうとする豪族を排除するため皇極天皇は譲位し、孝徳天皇が即位して「大化の改新」を断行する。豪族の私有財産や私民(奴隷)を廃止し、すべての土地は公地とし、すべての人を公民として差別をなくした「公地公民制」を制定。地方で私権力を行使して富を独占できないようにした「国群制度」の制定。公地を公民に平等に分け与えた「班田授受の法」の制定。役人が勝手に税や労役を負担できないようにした「租庸調制度」(最大税率は4%)の制定。このような政策を遂行するために、蘇我氏の権力にぶら下がっていた東漢氏等渡来人の多い奈良を離れ、都を大阪の難波に移し天皇中心の政へと移行した。孝徳天皇崩御の後、都を奈良の飛鳥に戻すにあたり、本来皇位を継承されるべき中大兄皇子(第38代天智天皇)は、実政を執り行いつつも、いまだに残る蘇我氏の影響を警戒して皇極天皇が重祚し第37代斉明天皇として即位された。

次の女性天皇は、第41代持統天皇である。天智天皇の皇女(鵜野讃良皇女)で母方は蘇我氏、祖父は蘇我倉山田石川麻呂であり、天智天皇から皇位を継承した天智天皇の皇子・第39代弘文天皇とは異母兄弟である。12歳で叔父にあたる天智天皇の弟・大海人皇子(後の天武天皇)の妃となられる。

大海人皇子は、天智天皇の御代に皇大弟を辞され、保有していた武器をことごとく公に納め出家して吉野に下った。皇位継承にあたり、弘文天皇から嫌疑をかけられていた鵜野讃良皇女は大海人皇子に従って吉野に入った。

天智天皇崩御後、大海人皇子は、「壬申の乱」をおこし、天智天皇から皇位を継承した天智天皇の皇子・第39代弘文天皇を排して皇位についた。その壬申の乱のときから政治について助言をしていたのが大海人皇子(後の天武天皇)の妃であった持統天皇である。

天武天皇が即位されると、鵜野讃良皇女は第40代天武天皇の皇后となり、大臣を置かずに天皇・皇后及び皇族の諸王による親王政治をとられる。はじめは、天武天皇の第3皇子(母は太田皇女)大津皇子が朝政をとるようになる。天武天皇14年頃から天皇が病気がちになると皇后(持統天皇)とその子・草壁皇子がともに天皇に代わって政務をとられた。天武天皇崩御の翌月、大津皇子は謀反の疑いで逮捕され自害された。これで、皇位継承者は草壁皇子となるが皇后が称制して政務をとる。3年後、草壁皇子が死去し、皇后が天皇に即位され、孫の軽皇子(第42代文武天皇)に皇位を継承する。

持統天皇は、弘文天皇を排し天武天皇を皇位につけ、天武天皇から大津皇子を排し我が子・草壁皇子へ皇位継承を企て、皇子死去につき孫の軽皇子(第42代文武天皇)に皇位を継承した。外威政治ではないが、私欲を皇位継承に及ぼしたことには変わりがない。

次の女性天皇は、第43代元明天皇である。持統天皇の異母姉妹(祖父は同じ蘇我倉山田石川麻呂)であり、持統天皇の皇子草壁親王の正妃であり、先代文武天皇の母である。この御代に右大臣藤原不比等が権力を握り事実上の最高権力者として政務を取り仕切った。藤原不比等は「乙巳の変」で功績のあった中臣鎌足の子である。鎌足は、天智天皇から藤原の姓を賜ったが、持統天皇に取り入った不比等は文武天皇の御代に藤原姓を名乗れるのは不比等に限られることとした。これが藤原公家のはじまりとなる。また、娘宮子を皇族以外の出身者として初めて入内させ文武天皇の「皇夫人」とし、第45代聖武天皇を出産した。藤原氏による外威政治のはじまりである。元明天皇は聖武天皇への中継ぎの為の天皇であった。

その次の女性天皇は、元明天皇の娘・第44代元正天皇である。草壁親王の皇女であるから男系女性天皇である。祖母は持統天皇である。元正天皇は、聖武天皇へのさらなる中継ぎ役として母元明天皇から譲位され皇位につかれた。

第45代聖武天皇は、初めての皇族以外の出生の藤原宮子を母とし、皇后もまた非皇族藤原不比等の娘で母の異母妹の藤原光明子を皇后に立てる。これに反対した天武天皇の孫の長屋王は不比等の息子たち藤原四兄弟から自殺に追い込まれる。持統天皇から文武天皇、元明天皇、元正天皇までは、藤原氏による外威政治を確立する基盤を作ってしまったことになる。大化の改新で公地公民制度を制定し貧富の格差をなくしていたのだが、藤原氏が政治権力を握るとともに、墾田を私有財産化する「墾田永年私財法」が制定され荘園が発生し貧富の格差が広がっていく。

聖武天皇以降は、藤原一族が萬世一系だけは保ちながらも皇位継承に大きくかかわっていく。六人目の女性天皇第四六代孝謙天皇がまさに藤原家外威政治のはじまりである。母が史上初めての非皇族光明皇后であり、史上初の女性皇太子からの即位である。これ以降、藤原氏の後ろ盾がない皇子の即位は期待できなくなった。そして、これを真似て平氏やと徳川といった時の権力者が娘の入内を通じて皇位継承に大きくかかわるようになった。孝謙天皇は、藤原仲麻呂の強い推挙により仲麻呂の私邸に住居しておられた大炊王(後の四七代淳仁天皇)を立太子させ、史上初の女性太上天皇となる。

しかし、即位した淳仁天皇が、寵愛する道鏡と孝謙上皇との関係を非難すると、「今の帝は常の祭りと小事を行え。国家の大事と賞罰は朕が行う」と宣告され、上皇が天皇の権限を取り上げてしまった。さらには、軍を動員して淳仁天皇に廃位を宣告された。

淳仁天皇廃位と同時に、上皇は重祚され第四八代称徳天皇として即位される。淳仁天皇は逃亡を図るが捕まり崩御される。暗殺説も根強い。称徳天皇は、道鏡を法王とし、称徳天皇と法王道鏡の二頭体制が確立した。さらには、道鏡を皇位に就けるという事態まで発展した。寵愛した男を天皇に就けるという女性天皇ならではの大事件であった。幸い、称徳天皇が崩御し道鏡が失脚、皇位継承は四代さかのぼって天智天皇の系統である第四九代光仁天皇が即位された。

7人目の女性天皇は、徳川3代将軍家光の時世、第百九代明正天皇である。母は二代将軍徳川秀忠の娘・東福門院源和子である。秀忠の外孫が天皇として即位されることが期待されての政略結婚である。しかし、幕府の朝廷統制を確立した「禁中並公家御法度」に不服従を決めた第百八代後水尾天皇は、これを無視し慣例通り十数人の僧侶に「紫衣の着用の勅許」をお与えになった。これに対し幕府は「幕府の法度は天皇の勅許より優先する」ということを明示した。後水尾天皇は、この紫衣事件や無官の春日局が参内するなどの御皇室の慣例を破る所業に抗議し、明正天皇に譲位して上皇となり院政を敷かれ幕府と対立した。これによって、明正天皇が朝廷において実権を持たれることはできなくなり、秀忠の外威政治の思惑はつぶされた。

最後の女性天皇は、第百十七代後桜町天皇である。この天皇の即位は、幕府と癒着していた摂関家による政略であった。

先帝第百十六代桃園天皇に仕えた尊皇論者の若い公卿達が、幕府と摂関家による朝廷支配に憤慨し、山崎闇斎の垂加神道を奉じる竹内式部に桃園天皇に直接御進講することを進めた。これに対し、自らの保身の為、朝幕関係悪化を憂慮した摂関家が、これら天皇側近の若手公卿達を追放処分し(宝暦事件)、さらに、幕府にも諮らずに五摂家の当主らが協議し、すでに皇位継承が決まっていた英仁親王(第百十八代後桃園天皇)の中継ぎとして後桜町天皇を擁立することに決めたのであった。この摂関家は、藤原不比等に始まり、藤原道真に最盛期を迎え、天皇三代にわたり外祖父として天皇に代わって政務をとり摂関家として朝廷の実権を握った。その影響力は徳川幕府でも存続し、昭和天皇の母貞明皇后まで続いた。

日本の歴史において女性天皇を擁立する時は、こうした不敬な奸臣の悪略が背後に働いてきた。

現状はどうか。まず前提として考えておかなくてはいけないのは、米軍占領下の基本方針として米国および極東委員会には天皇制廃止論があったことだ。しかし、現実には昭和天皇はそのまま在位した。これは、日本政府の力により国体護持ができたからではない。マッカーサーが昭和天皇との会談でマッカーサーの日本統治に天皇が全面的に協力することを確認した上でマッカーサーの日本統治の為の「天皇利用」に舵を切ったからだ。そしてそれは予想以上の効果を得た。昭和天皇のマッカーサーに対する好感はそのまま国民のマッカーサーに対する好感となり、さらには米国に対する好感として定着した。天皇をうまく使えば、日本の管理は容易にできることを知った米国は、さらなる手段に踏み切った。米国による外威政治である。もちろん、米国人を后にすることはできないが、米国に忠誠を誓う日本人を使うというやり方だ。「愛子天皇擁立」がそれだ。

まず、雅子妃の父小和田恆氏とは何者かを知る必要がある。外務官僚時代の主な業績は、ハーバード大学ロー・スクール客員教授に就任し一家で渡米している間、日本電信電話公社(現:NTT)の物資調達解放をめぐる日米交渉(1978年)で、ストラウス合衆国通商代表から交渉の根回し役に指名され、米国の強引な要求を日本側に飲ませる立役者となる。創価学会池田大作のアジア諸国訪問の際、創価学会の事務総長原田稔から当時の外務省官房長の小和田氏あての依頼(1988年)に便宜供与を図った疑惑が国会で追及される。事務次官時代には慰安婦問題に関し法的には解決済みである事実をあえて無視して謝罪と賠償の方針を決め、当時の宮沢喜一首相に進言して「慰安婦」動員過程の強制性と日本政府の関与を認めた「河野談話」(1993年)を発表することになる。同じく外務次官任期中の平成4年、小和田氏が加藤紘一官房長官(当時)に「国内は(陛下が)訪中され新しい日中関係の意義づけをしていただくべきというのが大勢」「国際的には(天安門事件で)厳しかった中国に対する論調が、日本も努力して中国を孤立させるべきでないというコンセンサスになった」と説明し天皇訪中が「問題になることはないであろう」として天皇初訪中(現上皇陛下)(1992年)を主導した。この後、長女雅子が皇室に入内した。(1993年)。外務官僚が宮内庁侍従長のポストを占有するようになったのもこのころからである。慣例により、皇太子妃の実父という立場上公職などから離れるよう周囲から意見されるも、意に介さず国連日本政府常駐代表(特命全権大使)や財団法人日本国際問題研究所理事長、世界銀行総裁特別顧問、国際司法裁判所所長など数々の要職を歴任する。昭和34年に吉田茂が従米政策の肝いりシンクタンクとして立ち上げた日本国際問題研究所理事長時代には、米国の冷戦後の新たな日本の間接統治を進める枠組みを形成するため日米トラック2協議等を盛んに開催するなど、日本側の中心的な役割を果たした。2001年3月28日、 サンフランシスコにおいて国際問題研究所とCSISパシフィックフォーラムが共催した「日米安保セミナー」では、「日本国民は日米安保について無知で無関心であり、日米同盟を積極的に支持するようなコミュニティー(メディア、政治家、官僚等)を早急に形成し、甘やかされた子供のような国民の心理状態を正していく国民運動を起こす」と発言している。彼の影響力は大きく、その後、日本のメディアや政治家及び官僚界において親米的言論が力を増すことになった。国際司法裁判所所長時代には、米国によるコソボ独立を国際法違反には相当しないという判決を下す一方で、ドンバス3州のウクライナからの独立に際してはプーチン大統領を犯罪者として国際指名手配することに動いた。

このような父小和田恆氏を敬愛する雅子妃は、皇太子妃時代は、体調不良と称して皇室の祭事はほとんど参加せず、他方オランダに住む父のもとへはたびたび娘愛子を連れて訪問旅行をしていた。皇后となられた雅子妃に対する内部からの苦情はいくつもあるが、例えば、春秋の園遊会では、上皇陛下までは、お待ちになっている参列者を気遣って定刻より早くお出ましになったということだが、雅子妃は平気で定刻より遅れて天皇陛下まで待たせて参上するという。

CIAエージェントの正力松太郎や皇居に忍び込み昭和天皇の私生活を盗み撮りして名を挙げた逆賊渡辺恒雄の経営する反日朝敵の読売新聞が新聞広告として「愛子天皇要望」などを掲げた。米国および親米売国奴らによって不敬なメディアが秋篠宮家や上皇后陛下に対して不敬発言を繰り返し、天皇陛下以上に雅子妃や愛子親王を取り上げるメディアプロパガンダが異常に目につく。絶対多数をとった高市総理は、早々皇位継承問題に触れ皇室典範を見直すという。このような動向が皇統廃絶に向けて為されていると危機感を覚えるのは私だけではあるまい。 

GHQによって皇籍降下された旧宮家を皇族として復帰させるのであれば、なにも愛子親王の婿に限る必要などない、皇族としての資質に欠ける方以外は全て復帰していただけばよい。よりによって、父が外務省関係でグローバル金融勤務者がピンポイントで婿の候補に上がってくること自体がおかしいではないか。5代までさかのぼって皇位を継承した継体天皇の御事例を参考にすれば孝明天皇の世継ぎ迄御皇室に復活できる。皇位継承は天津日嗣として皇祖皇宗の御霊が宿られる皇孫でなくてはならぬ。私事を一切捨て国民を「しろしめす」ことに御専念あそばされる御覚悟をされ皇祖皇宗と一体となって寶御位に臨まれるのだ。悪意ある民間人の皇位継承議論は即刻廃止し、上皇陛下、今上陛下、秋篠宮殿下、悠仁親王に万事お任せする以外の選択肢などあってはならない。

台風災害復旧の御礼

昨日、むすびの里の台風災害復旧のお手伝いをお願いしたところ、さっそく本日から仲間や門人が駆けつけてくれて、一部床上浸水の道場も綺麗になり、押し倒された畑の柵も復旧し、農業用水路の巨大な岩や倒木も排除できました。ありがとうございました。
明日以降は、水資源の修復、流木などのかたずけをしますが、仲間が十分来てくれますので大丈夫です。
大変ご心配をおかけしてすみませんでした。
皆様のお心遣いに御礼申し上げます。

今回の教訓は
随神の道(あるがままの自然とともに生きる道)は、幸福も試練もすべてを受容する生き方ですから、良いも悪いも当たり前と思って暮らすことが幸せなこと。
今回の復旧は、90歳を超えた村の長老さんから17歳の高校生の門人迄が力を合わせて働きました。
結局、災害転じて里人や仲間や子弟門人との絆を確かめる幸福を得ることができました。感謝!
こうした協働を通じ、「金だけ、今だけ、自分だけ」では絶対できない、日本人として歴史を通貫する同じ思いの人々が集う共働社会だけが、地域を守り日本を守り歴史を築くということがよくわかりました。日本人が建国以来目指してきた「八紘為宇」とは、そうした日常の在り方なのではないでしょうか。

日本全国「在所共同体」創設活動

いよいよ、熊野飛鳥むすびの里の仲間たちが、全都道府県に在所共同体を創設し団結して、新日本創成に向け動き出しました。
年内には、全都道府県に最低1か所以上の在所共同体が創設されます。それを運営する地域共同体も各都道府県の代表が決まり、それぞれの地域ごとに仲間が結集します。
新日本創成に向けた、新憲法及び新政体構想の研究も年内に取りまとめます。
我々が目指すのは、建国の理念「八紘為宇(一つの家のような国家、一つの家族のような社会)」を、歴史を通じて皆で力を合わせて修(おさ)め理(つく)り固(かた)め成(な)す伝統日本の復活です。

仲間の皆さんは、仲間専用ページでそれぞれの地域の在所共同体の所在と代表者を確認してお互いに連絡を取り合ってください。

先般、熊野飛鳥むすびの里で開催した「小集団在所共同体建設実習」において、一人の経験者と20名の仲間(20代~70代)がいれば、たった2日で、1反(5人一家族の1年分のお米)の田植え、1背(5人1家族の1年間食べれる野菜)の畑の開墾・作付け(害獣対策含む)、一冬分の薪燃料の確保、森林の道の開通(伐根・整地)ができました。
意志と行動さえあれば大丈夫です!

私たちの国家日本を取り戻すためには、志あるものが集まって行動し、自給自足・自立自治・共働共助社会を自分たちの手で作り上げるしかありません。
活動に賛同し行動する方は、仲間に加わってください。

熊野飛鳥むすびの里
代表おやじ 荒谷卓

憲法改正と国体、新しい日本の政体構築に向けて

 高市政権下で、再び憲法改正が現実味を帯びてきたが、憲法改正にあたっては、まず、「現日本国憲法とは何か」を正しく認識しておく必要がある。

 そもそも、国を形成し存続するためには、共通の目的意識を持った国民という集団形成と、国民集団としてその目的を具体化する為の行動が継続して為されていなくてはならない。現状の日本は、マッカーサー統治下に施行された憲法がいまだに有効とされている為、米英そしてマッカーサーが主張した(普遍的)価値観を目的化し、天皇陛下の大御心である詔勅及び日本人の伝統的価値観を目的化する一切の憲法改正や法令を禁止している。また、その強要された目的を遂行するにあたっては、日本国民の安全と生存に関わる権利を自ら行使することを放棄し諸国民(=米国)の公正と信義に信頼することを規定している。

 当時、マッカーサーは、極東委員会の方針やトルーマン大統領の考えをも逸脱するほどの強権を発動し日本統治を遂行した。
 1945年8月29日の大統領通達「降伏後における米国の初期における対日方針」では
 〇日本の武装解除及び非軍事化
 〇経済上の非軍事化
を指示していたが、マッカーサーは、さらに踏み込んで国家の主権の発動たる自衛権の行使も認めないとする「戦争放棄の宣言」を日本に求めた。

 1946年7月2日に極東委員会がマッカーサーに指令した内容は
 〇国民主権
 〇普通選挙による代議政治
 〇司法権の独立日本国民の自由に表明された意志によって憲法の改正を選択
 〇天皇制の廃止または民主的修正
 〇天皇の軍事上の権限を一切剝奪
 〇天皇は新憲法で規定する以外のいかなる権限も有しない
 〇全ての皇室財産は国有化
というものだったが、これらを予期したマッカーサーは、自己の要求を通すために先手を打った。
 1945年10月11日、マッカーサーは、幣原首相(当時)に対し「日本国民が数世紀にわたり隷属してきた伝統的社会秩序はこれを是正する必要がある」と日本国体の破棄を指示した。1946年2月3日には、民政局長ホイットニーに、以下のような内容の憲法改正の要点(マッカーサー・ノート)を手渡した
 〇天皇は国家の元首の地位にある(米軍統治のための天皇利用)
 〇完全なる軍事権限の放棄(自衛権も行使できない)
 〇日本の封建制度は廃止される(庶民の生活慣習まで強制変更)
 これに基づき、ホイットニーは、民生局のケーディスに指示して約1週間で憲法草案を作成し、1946年2月13日、マッカーサー草案を日本政府に手交した。この際、日本政府が作成した松本(国務相)憲法草案を拒否し、天皇制は司令部提案以外不可、これ以外は天皇の身体も保障せずとし、「この案(マッカーサー草案)のような改正案を日本政府に命ずるものではないが、この案と根本原則及び根本形体を一にする改正案を速やかに作成提出すること」と指示した。
 1946年3月4日、日本政府は、マッカーサー草案に基づく「憲法改正要綱」をGHQ民政局に提出し認可を受け、同年4月7日「憲法改正要綱」を公式発表、6月8日枢密院で天皇裁可、8月26日衆議院可決、10月6日貴族院可決、10月7日帝国会議で憲法改正した。こうして、マッカーサーに強要された憲法は、「日本国民の自由に表明された意志によって改正された憲法」を装うことになった。

 この間、日本政府がマッカーサー草案を修正したのは以下の点だけで、あとは全て、マッカーサー草案の内容をそのまま憲法条文とした。
 〇9条2項冒頭に「前項の目的を達するため」という文言が挿入(芦田修正)
 〇人権規定:「外国人に対する法の平等な保護」を直接訴える条文を削除、いくつかの条項で主語「人民・自然人、外国人等」を「国民」と書換え
 〇「皇位決定の決定権は国民固有」を排除
 〇国会を一院制から二院制に変更
 〇国会による「最高裁判所の違憲判決」への再審手続きが削除
 〇地方自治:主語を「住民」から「地方公共団体」に変更

 以上、初期の米国の日本統治政策をまとめると以下のようになる。
 〇連合軍最高司令官=暫定日本統治者
 〇GHQ=暫定日本政府
 〇政治(立法)・行政・司法全権を掌握
 〇日本の伝統的文化・社会秩序の破棄
 〇天皇を米軍統治に利用
 〇完全なる軍事権限の放棄
 〇上記政府転覆の指令書としての憲法改正
 〇上記全てを日本国民に秘匿して実行

 結果として現憲法には、日本の国体を壊す為、前文や98条、99条に、日本の伝統的価値観を排する米国の価値観が記載された。危機時に対処できない9条の規定や、国民以外の「何人」に対しても権利が与えられている規定(マッカーサー草案の残骸)も外国人移住が拡大すれば国家の破壊につながる。
 現下の日本の衰退と崩落ぶりは、消費税とか移民とか食糧問題とかの個別の問題からきているのではない。それらは全て日本国憲法に通底する日本国体の破壊と文化集団としての日本人消滅の悪意から生じ、現在ではその日本解体指令書のような憲法の下にできた政体がグレートリセットという同じ趣旨の世界的グローバル化政策を推し進めていることによって生じているのだ。

 日本人として歴史を貫く価値観と目的意識が「国体」である。政体は、政治、行政、司法を運営する主体の総称だが、その運営に当たっては常に目的が必要であり、その目的が「国体」である。仮に「国体」を憲法として成文化するならば、その一番初めには、「日本とは何か」「日本人は何を為すべきか」が明示されていなくては日本の憲法足りえない。そしてそれは、日本全土に存在した家族的共同体をより大きな家「国家」として和合する事業に最初に取り組まれた神武天皇が、日本建国の理念として「八紘為宇の詔」でお示しになっている。これをそのまま憲法とすることが最も明解である。要すれば、「一つの家族のような国民と一つの家のような国を君民一体となって創り為そうではないか」との呼びかけを、今の世でも分かりやすいよう解釈すればそれで十分だ。
 世俗の政体や国家の運営は、この詔にあるように、その時々の情勢や個々の事情に従い「国民(おおみたから)が幸せになる」ように取り成せば良い。米国のような世俗国には国体はないので、政体の規定を憲法で規定せざるを得ないであろうが、日本においては政体の規定は、世々の世俗法で定めるべきもので憲法にはなじまない。
 現行憲法が全面改正されたとき戦後(占領下の)日本が終わり、憲法に日本の国体が規定されたとき祖国日本が復活する。

 物事には段取りがあって、国体を正してからでないと全ての政策、法律、行政は元から誤ることになる。安保・国防議論はあまた存在するが、しょせん現憲法思想下での安全保障・国防政策は日本を害することになる。それについて簡単に説明する。

 当時、マッカーサーは、極東委員会の方針やトルーマン大統領の考えをも逸脱するほどの強権を発動し日本統治を遂行した。特に、日本の再軍備に関しては自衛権の行使も許さないとする考えで憲法草案を指示した。しかし、1947年、トルーマン大統領は、スターリンとのヤルタ協定を一方的に破棄し、スパイクマンの地政学に基づいた「対ソ封じ込め宣言」へと舵を切った。これを受けて、国務省政策企画本部長のJ.F.ケナンが、「東アジアにおける最重要国は中国である」との米国における伝統的発想を否定し、対ソ戦略上の日本の重要性を見直すことを提言した。「中国は将来にも強大な工業国・軍事大国になる見通しは無く、日本は極東における唯一潜在的軍事・産業基盤を持ち、勤勉な国民資質、反共思想、地理特性等からソ連封じ込めに使える」とし、米国にとって最も安定した戦略環境は「真に友好的な日本と名目上だけは敵対関係にある中国」であって、最悪ケースは「敵意を持った中国と日本」、危機ケースは「名目上は友好的な中国と真に敵意を持つ日本」という考えだった。
 このケナンの提案がJ・マーシャル国務長官に受け入れられ、マッカーサーの日本滅亡政策は、再軍備と経済復興による日本の戦略的利用政策に変更された。これ以降、日本の軍事力と経済力は、米国の対ソ戦略に利用されてきた。しかも、戦略的パワーに欠ける中国の代用品としての位置づけでだ。

 日本の再軍備にあたっては、憲法の思想とは対立するため、ポツダム条例を根拠に警察予備隊を編成した。海上警備隊も、もともと米側と密通していた野村吉三郎など帝国海軍将校が米軍の指示を受け編成した。したがって、憲法規定外の存在として国会審議もないまま、警察予備隊は米軍が管理運営を完全統制、海上警備隊は米海軍が運用する。つまり、日本の再軍備は、もともと日本国憲法外の存在で、ポツダム勅令を根拠とする米軍の補完としての戦力という形をとったわけだ。

 サンフランシスコ講和条約以降、米軍統合参謀本部の計画により航空自衛隊は在日米軍の防空機能として創設され、日本政府は米国の経済支援を得るための条件として日米防共協定を締結した。また、在日米軍が占領時と同じ権限を保有できるように日米行政協定(後の日米地位協定)が結ばれ、これらを正当化するため日米安保条約が締結され、日米関係を維持するため自衛隊の防衛力整備が義務付けられた。つまり、自衛隊は、日本を防衛するためではなく、日米関係を維持するために存在してきたのである。

 しかし、ソ連のアフガン侵攻を契機に米中は接近し、中国(ウイグル)への米軍の施設の配備と引き換えに米国は中国経済を支援した。中国の経済成長とともに、キッシンジャーは日本を切り捨て中国の戦略的利用を提言し、さらに、冷戦終結とともに、米国の戦略は対ソ戦略から新世界秩序構築へとシフトしたことで、米国にとっての日本の戦略的価値は一気に低下した。
 戦略的価値を失った日本に残されたのは、巨大な金融経済資産と自衛隊という軍事力だ。この日本の金融経済資産が米国とグローバリストの収奪目標となり、自衛隊は米軍の補完戦力として利用される道を歩む。もともと、自衛隊は日本政府や日本国民の主体意思でできたのではなく、米軍の要請でできたものだから、米国は、自衛隊を米軍の戦略に有効に使えるようにするため、サンフランシスコ講和条約以降も、米軍事作戦への後方支援・予算支出、米国防衛装備の購入・配備、在日米軍経費の支出、日本の防衛技術移転等さまざまな要求をしてきた。
 しかし、米軍による自衛隊の指揮・運用だけは、日本政府は憲法の規定を理由にそれを拒んできた。そこで、米国側は憲法9条の改正を迫ってきたわけだ。
 冷戦が終結した2000年以降は、憲法の改正に代わって、集団的自衛権の行使を要求し、事実上の米軍による自衛隊の一体的指揮・運用を狙ってきた。そのための題材として使われたのが台湾問題で、台湾危機があるから集団的自衛権が提言されたのではなく、集団的自衛権を成立させるために台湾問題が使われたというのが実態だ。このような米側の強烈な要求によって成立したのが、第2次安倍政権下での平和安全法制の中の『存立危機事態』である。戦後日本の安全保障及び防衛政策は、スタートから根本的に間違っているため、事態対応策を取ろうとしても正しい国防成果には結びつかない。 

 今、注意しなくてはいけないのは、同じ憲法改正でも、9条のみの改正と緊急事態条項(国会機能維持条項)だけの盛り込みだ。
 現状での憲法9条だけの改正は、自衛隊が米国の価値観で戦争し、米軍の指揮下で運用されることを意味する。そうなれば、将来、そうした戦争に従事した自衛官は国賊として歴史に名を刻むことになる。
 全面改正のない緊急事態条項(国会機能維持条項)だけの改正は、グローバリストによる要請であり、憲法に規定されたすべての国民の権利規定が無効化し、グローバリストの影響下にある現政府の独断専制体制を半永久的に可能にする。しかも、警察力や自衛隊を使って国民を弾圧することも可能になる。現代版の安政の大獄だ。
 今回の選挙で、高市政権による憲法改正が可能となった。国体を見失った傀儡政体による国の末路として、国外の意志による戦争や国民に対する強制措置が現実味を帯びてきたというわけだ。

 こうした劣悪な現実的状況から離れ、国体から見た国家の安全保障と国防について述べる。
 幸いなことに、世界の動向は日本の惨状とは反対に、米国による一極支配と米国の力を利用したグローバル資本による世界支配システムを過去のものになりつつある。一国さらには少数のマネー・エリートが世界のルールを強要し、さらには警察行動まで正当化するという狂った世界秩序から離脱し、自立した国家からなる世界システムの構築へと世界は動き出している。
 そのけん引力としての役割を果たしているのがBRICSである。公式発表では、加盟国10か国、パートナー国10か国、その他加盟申請国は30か国を超えるとしている。実際には、それ以外のサウジアラビアやグローバルサウス諸国等は、明確にBRICSの政策と歩調を合わせており、2021年以降は、経済指標、資源保有量、人口、面積などあらゆるデータにおいてBRICSがG7を凌駕しており、その格差は年々拡大している。そのBRICSは、新開発銀行、国際決済制度、外貨準備基金などを整え、非干渉、平等、相互利益を基本的考えとして打ち出している。
 これはまさに、戦前の日本人が唱えた大東亜建設の趣旨である。戦前、日本が目指したのは、「各国の政体は各国の択ぶところを尊重し差別や干渉をしない地域的共存圏を確立する諸国共存圏相互の協和関係に基づく新たな世界秩序」であった。互恵の下における交易は、相互国民の生活を等しく安全幸福にする有無相通の原則の下に行われ、安居楽業の楽天地を実現するとともに、各国は各々の特性を発揮して経済の発展を図り繁栄を相共に増進していこうというのである。八紘為宇の日本人の念願は、BRICSの枠組みで再挑戦することが期待できる。その為には、金融経済制度の抜本的転換が必要である。特に、通貨の自立は不可欠であり、ドルにペグされた現行の通貨制度はやめ円を金本位制に切り替えることが望ましい。米国に預けている日本の金は戻ってくることがないだろうから、努めて早期に日本国および民間のドル建て・米国債資産を全て売却して金に代え、日本の通貨を保証するに十分な金を蓄えなくてはならない。
 軍事はロシアと同盟を組むことだ。日本にとっての最大の脅威は米国であり、それに対抗できるのはロシアだけである。また、近年悪化した対中安全保障面でも、ロシアと軍事パートナーシップを形成することで無意味な緊張を取り除くことができる。これによって、アングロサクソンの地政学的野望に日本が使われることはなくなる。BRICSに加盟すれば必要なエネルギーや資源の調達も保証され日本の自立と再復興が実現できるであろう。食糧の自給率や輸出入の課題は、米国の関与がなくなれば自律的に解決できる。公衆衛生や医療制度も、グローバリストの管理から解放され正常化する。晴れて、国体を掲げ、日本人の理想国家建設へと力を尽くす環境が整う。もちろん、それは新政体を国民の手で立ち上げ、正しい日本の国体を明らかにしてから為すべきものである。

おやじ(荒谷卓)の著書及び執筆物」の更新

以下の著書、執筆物を「おやじ」のページに追加しました。

【著書】

・「日本の大義と武士道ー戦う者たちへ(第4版)」【並木書房】令和7年11月20日発売
・「奪われた祖国を取り戻すー私たちは断固戦う」【ワニプラス】令和7年9月7日発売

【執筆物】

痛恨の高市発言ー吠え続ける番犬  (令和8年1月「維新と興亜30」より)

日本人の肚(魂)創り  (令和7年12月「秘伝 2026年01月号」より)

日本の戦闘者42  (令和8年1月「ストライクアンドタクティカルマガジン」より)

日本の戦闘者41  (令和7年11月「ストライクアンドタクティカルマガジン」より)

日本の戦闘者40  (令和7年9月「ストライクアンドタクティカルマガジン」より)