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投稿者: 大石裕司

【仲間の紹介】高田智史さん

2015年、50歳手前で脱サラして自由人となりました。
最低限の生活費をアルバイトで賄い、山口の片田舎で自然農の田んぼと畑をしながら、日本熊森協会で里山整備や再エネ開発を止めるための運動など、水源の山を守る活動をしています。
世の中がどうしようもない方向に向かっていることは若い頃から認識しつつ、これに抗ういくつかの試みに参画してきたものの、結局は潮流に乗らざるを得ない自らの人生そのものに半ばあきらめを覚えた時期もありました。しかしコロナ以降、そのどうしようもない世の中が根底から覆ろうとしていること(まさに自滅)が一気に明白になり、こんな時代に生を受けることができた幸運を喜ぶ一方で、ではその中で自分の役割は何なのか、確信が持てずにいました。
むすびの里のコンセプトは、これまで自分が漠然と考えていた人間本来の生き方を具体化したものだと感じ、この度仲間に入らせていただきたいと思いました。

「第72回むすびの里勉強会」及び「荒谷流武道教室」のご案内

【第72回むすびの里勉強会】
日 時:12月5日17:00~19:00
場 所:熊野飛鳥むすびの里「士卒復覚塾」
講 話:「オオカミの話」日本オオカミとオオカミ復活の話です
講 師:日本オオカミ協会 大槻国彦氏
参加費:3,000円(親族型仲間は無料)
その他:直会(3,000円)
宿泊&朝食(3,000円,親族型仲間は1,000円)

【荒谷流武道教室】
日 時:12月5日14:00~16:00
場 所:むすびの里「韴霊武道場」
参加費:3,000円(荒谷流本部門人は無料)

お申込はこちらのフォームに記入して送信してください。

畑作

畑は、ナス、キウリ、トマトなどの夏野菜も終わり、今は、ピーマン、シシトウ、インゲン、オクラ、唐辛子、里芋、落花生、サツマイモ、ゴボウを収穫すれば今年の収穫は終わります。
空いた畑に、石灰、堆肥、鶏糞、ぬかを撒いて耕耘、順次冬春野菜を植え付けしています。
とりあえず、玉ねぎ、にんにく、ラッキョウ、白菜、キャベツ、ブロッコリ、エンドウ、大根、ニンジン、ホウレンソウを植えました。

霜よけに籾を撒いておきました。
美味しい野菜ができますように。

【仲間の紹介】地福貴輝さん

はじめまして!😊✨鹿児島でリハビリの仕事をしながら、地域の仲間づくりや助け合いの活動をしています。
私はリハビリの専門職として、寝たきりの状態から歩けるようになるまで、身体の回復をサポートしています。
人の可能性を信じ、一人でも多くの方が自分らしい生活を取り戻せるよう、日々取り組んでいます。
また、いざという時に家族や子どもたち、大切な人たちを守り合える仲間を増やしたいと思い、鹿児島支部を立ち上げました!
現在、約22名の仲間が集まり、少しずつ活動の輪が広がっています。😊
これからは、食料・水・電気などの自給自足や災害時の避難体制づくりにも力を入れ、みんなで支え合える地域をつくっていきたいと考えています。
一人では難しいことも、仲間が集まれば実現できることがあると思います。
志を同じくする皆さんとつながりながら、子どもたちが安心して暮らせる未来を、一緒につくっていけたら嬉しいです!
どうぞよろしくお願いいたします!🙇‍♂️✨

【仲間の紹介】河野昭彦さん

河野昭彦と申します。62歳です。
神奈川県の大磯町で地場屋ほっこりと言う小売店を経営しております。
農作物、海産物等地元の逸品はじめ、大手に押されながらも愚直に伝統を守り続ける全国のこだわり食品を作り続ける方々と繋がりながら
「三方良し」の精神と、地域で社会的使命を果たすべく商いをやらせて頂いております。
宜しくお願いいたします。

おやじの記事

【連載】

《記事抄》

荒谷 「惟神(かんながら)の道」という言葉があるように、日本は縄文時代からずっと神々と暮らす生活ぶりというものが続いています。惟神の道とは、あるがままの宇宙、あるがままの地球、あるがままの自然を認めて、その中で生きていこうという決意のことなんです。その時に、人間は宇宙全体、あるいは自然全体を知り得るかというと、もちろん知り得ないですよね。けれども、あるものはあるわけです。言い換えれば惟神の道とは、人間が知り得ないものであっても、「あるものはある」と認めて生きていくことを覚悟するということです。日本人が「言上げ」しないのは、言語化できないものはそのままにしておくという感覚的認識からきているように思います。
人間が小集落で生きていくうえで最も大きな影響を与えるのは住み着いた土地であり、日本人はそれぞれの土地と一体化していくことを選んだのだと思います。それが人類最古の土着文化を生んだのであり、そして土地というものが持つ、言語化できないエネルギーのようなものを産土神(うぶすなのかみ)としてお祀りしたわけです。土地によってエネルギーや性質は違うので、それぞれの集落ごとに産土神様がいらっしゃって、その神様とともに生きていくという暮らし方を日本人は選び取ったのだと思います。
宗教や科学というのは言語化できるものですが、それは日本人からすると買い被りだと思います。人間は宇宙の歴史も知り得ないし、それどころか地球のことも生命のこともよく知らないはずなのに、それを言語化した分だけしか信じないという態度は、日本人的感覚からすると狭隘な感じがします。間違っていないとしても、それはごく一部にしか過ぎないのではないかという感じがするんですよね。
日本人の場合、その土地の神様というあるがままの自然を崇めてともに生きていくということを大事にしてきたのだと思います。

荒谷 日本のお米の歴史を神話的に遡れば、斎庭(ゆにわの)稲穂の御神勅というものがあります。天照大御神様が瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)に直接、「高天原に聞し召す斎庭の稲穂をあなたに任せますから、これを広めなさい」ということでいただいたのがはじまりです。
この斎庭稲穂の神勅によって、日本国中で栽培される稲は、ことごとく「天照大御神からの授かりもの」という位置づけになります。私たち民は、その稲を栽培するわけです。そして私たちは、その稲から成るお米を日々いただきます。つまり、米作りは「神とその暮らしを、私たちが地上(日常)で、そのまま現そうと努力する」ことです。これが「随神の道」です。
また、米作りは「私たち一人一人の努力によって、この世を高天原(天国、極楽浄土)にする」ことなのです。これはとてもポジティブな生き方ですよね。死後に救済されたいとか天国へ行きたいということではなく、今生きている社会を自分たちの力で極楽浄土にしようということですから。だから、日本人にとってお米を作るというのはそういう意味が本来的にあるわけです。そして、天皇様のご使命は代々「しろしめす」ことですが、「おすくに(食国)しろしめす」という言い方をしますよね。つまり、お米を広めることとしろしめすこと、そして国民の気持ちを知って祈るということを一緒にされているわけで、それが尊いんです。ですから、日本人にとって稲作というのは単なる産業の一部ではないと理解していいのではないかと思います。

荒谷 我々は大きな課題を背負っていまして、グローバル資本主義の下で、日本という国も、それから日本人一人ひとりも荒廃してしまっているので、それを立て直さないといけない。そのためにはもう一回社会性を取り戻さないといけないのですが、グローバル資本主義の原動力である人・物・金の流動性は、社会を解体する原理でもあります。流動化していると社会を形成できないので、土着性が必要になる。だから、土着性と社会性というのはある意味でワンセットです。そして土着性のある社会を運営していくためには、衣食住を他に依存しない自立が必ず必要になってきます。
そこで、農というものが自分たちの生業として不可欠なものになってくるんです。しかも、ただ食べ物を生産するということでなく、その中に先祖の知恵や教え、それから先祖が社会に込めた思いや価値観などを、稲作を通じて我々は再認識するべきではないかと思います。そこに新しい日本が誕生する可能性が生まれ、それがこれからの世界の新しい潮流につながっていくだろうという気がしています。