イシキカイカク大学(CGS)で行った、おやじ荒谷の講演の動画がアップされましたので紹介します。
荒谷卓が語る、産霊(むすひ)の文化<前編>【CGS 荒谷卓 特別編-1】
荒谷卓が語る、産霊(むすひ)の文化<後編>【CGS 荒谷卓 特別編-2】
三重県熊野市【楯ヶ崎と海金剛】
「日本書紀」に曰く
瀬戸内海を渡り、難波から上陸し大和を目指した神武天皇一行は、長髄彦(ナガスネヒコ)の抵抗に会い退却します。
この際、長兄五瀬命(イツセノミコト)が矢に当たり負傷して崩御。和歌山市の竈山に葬られます。
日を背にして大和に向かうべく、紀伊半島を迂回した神武天皇一行は、先ず、新宮の天磐盾(アメノイワタテ)にのぼり敵情を把握。開豁した七里御浜を避けて海を北上しますが、海難に会い、次兄稻飯命(イナイノミコト)、三男三毛入野命(ミケイリノノミコト)は、海難を鎮めるため自ら海に入水します。
神武天皇も目にしたであろう熊野の海岸線
それはちょうど、三重県熊野市有馬の花窟神社に葬られた伊弉冊尊(イザナミノミコト)の前あたりでしょうか。
そして、最後に残された四男神武天皇が大泊~新鹿~楯ヶ崎のあたりに漂着し、そこから陸路、橿原に向かわれ大和を創建されます。
熊野は山川だけでなく、海も神話の宝庫です。
楯ヶ崎の目の前で鯨が迎えてくれました。
10連休の真っただ中、「日本人として日本を守る」。
その思いにみなぎる有志自衛官が、平成の最後の日まで知恵と大丈夫の気概を磨いた合宿が終了した。
終夜訓練を終了した平成31年4月30日、神武天皇上陸聖跡地である熊野市楯が崎に行軍し、神武天皇東征の息吹を体で感じ取る。
その後、むすびの里に戻り、今上陛下の、最後の「おことば」を全員で拝す。
明けて、令和元年5月1日は、禊行で始まる。
朝夕に神の御前に禊してすめらが御代に仕えまつらん
遠つ神固め修めしおおやしま天地共に永久に栄えむ
天津神国津神たちみそなわせおもい孟びてわがなすわざを
この禊歌が、真心に共鳴した禊であった。
御代替わり奉祝の心を込めた素晴しい合宿だった。
6月26日(水)の東京での講演のお知らせです。
『第34回輝生会 ~心身共に健やかに輝いて生きるための学びの会~』
日時:令和元年6月26日(水)13:30~16:00
場所:(株)玄米酵素東京支社4F エコロホール
東京都墨田区両国3-24-10 第二酵素ビル
参加費:2,000円 (資料代込)
チラシのPDFファイルはこちらです。
「むすびの里」も、田んぼや畑の仕事が始まり、また、御代替わりの連休は、自衛官合宿と武道合宿が開催されます。
とても忙しくなると思われます。
そんな中、紅梅の木にたくさんの梅が膨らんできました。
1月9日に最初の一輪が開花し
3月の中頃まで咲き続けていた紅梅。
桜とバトンタッチをするかのように、赤い花びらを落として沈黙していました。
桜が終わるころを見計らったかのように、かわいい梅の実が膨らんで、また存在感を大きくしています。
6月前に立派な実がなるかもしれません。
今年は、梅酒や梅漬けにさせて頂きます
こうした自然の営みと恵のありがたさに感謝して暮らしていると、自然から切り離された人間の営みが、自然にも人間にもストレスを与えていることに気づきます。
やはり、自然の一員である私たちは、自然の営みに参画して生きていくことが一番幸せなことなのでしょう。
自然に生まれ、自然に活き、自然に帰る。
その循環の中に、私たち一人一人の大事な役割があるのだと思います。
おやじのページに、過去の執筆物を掲載しました。
今回の掲載は以下のとおりです。
・中心と循環と産霊
・よりよい世界を創造するために
・よりよい世界へと導く憲法を
・アルジェリア人質事件の教訓
・集団的自衛権で何をめざすのか
よろしくお願いいたします。