6月27日にメキキユニバーシティで行った講演の動画をおやじのページに掲載しました。
以上
日程が迫ってきましたので、再掲いたします。
日本会議ホームページでは受付終了となっていますが、当日参加も可能ですので、奮ってご参加ください。
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以下の要領で講演会を開催します。
『荒谷卓講演会 サムライ精神を復活せよ!~君民一体の國 日本~』
日時:令和元年7月7日(日)13時30分~16時
場所:生田神社会館4階(兵庫県神戸市中央区下山手通1-2-1)
主催:日本会議兵庫女性の会 事務局
詳細:こちらのPDFファイルをダウンロードしてお申込み先などご確認ください。
よろしくお願い致します。
おやじのページに、以下の3つの執筆物を追加しましたので、ご覧ください。
日本復活は靖国の神々の心から(平成23年3月)
世界思想としての国体論と世界皇化(平成26年9月)
三島は「自決」によって 日本人の覚醒を期待した(平成25年12月)
三重県熊野市【楯ヶ崎と海金剛】
「日本書紀」に曰く
瀬戸内海を渡り、難波から上陸し大和を目指した神武天皇一行は、長髄彦(ナガスネヒコ)の抵抗に会い退却します。
この際、長兄五瀬命(イツセノミコト)が矢に当たり負傷して崩御。和歌山市の竈山に葬られます。
日を背にして大和に向かうべく、紀伊半島を迂回した神武天皇一行は、先ず、新宮の天磐盾(アメノイワタテ)にのぼり敵情を把握。開豁した七里御浜を避けて海を北上しますが、海難に会い、次兄稻飯命(イナイノミコト)、三男三毛入野命(ミケイリノノミコト)は、海難を鎮めるため自ら海に入水します。
神武天皇も目にしたであろう熊野の海岸線
それはちょうど、三重県熊野市有馬の花窟神社に葬られた伊弉冊尊(イザナミノミコト)の前あたりでしょうか。
そして、最後に残された四男神武天皇が大泊~新鹿~楯ヶ崎のあたりに漂着し、そこから陸路、橿原に向かわれ大和を創建されます。
熊野は山川だけでなく、海も神話の宝庫です。
楯ヶ崎の目の前で鯨が迎えてくれました。