ようやく、むすびの里の桜が開花しました。
この1か月、毎日何度も、つぼみの様子を見ては「もうすぐかな?まだかな?」と、わくわくしながら桜の花の成長を見守ってきました。
それだけに、本当に晴れやかな気分です。
こぶしも花を咲かせました。
昔の人は、田植えの時期に神様が山から下りてきて桜を咲かせると言い伝えたそうです。
だから、神様にお酒をお供えし、直会としてお酒をいただいたのが、花見酒の起源だとか。
今私たちが何気なく行っている風習の多くは、稲作と神様が起源なのでしょう。
日々の生活雑記
三重県友の会熊野支部の開催する史跡研修に参加させていただきました。
ここ飛鳥一帯は、京都から見ると吉野の奥に当たる地域。
吉野に皇居を構えた南朝の人々が、今日の勢力に追い詰められて行く先は、北山を経て熊野市の流谷(五郷~飛鳥一帯)になるのでしょう。
昔は、役行者も通ったであろう修験の道「大峯奥駈道」を敵に追われてくる道のりは厳しかったはずです。
飛鳥町には、後南朝の皇子たちの遺跡が多く残されており、特に南朝最後の皇子「市河宮尊雅親王」終焉の地「光福寺」は感慨極まるところであります。
また、五郷の隣の神川町には後醍醐天皇の皇子「大塔宮護良親王」がお隠れになった竹原八郎屋敷跡が「花知神社」として残っており、護良親王と竹原八郎が祀られています。
南北朝の時代は、今の私たちに、たいへん多くの教訓を示唆してくれます。
「天下は破れば破れよ。世間は滅びば滅びよ。人はともあれ我が身さえ富貴ならば」
これは、日本史上最も穢れた足利治政下の世情を現したものです。
まさに、南朝が滅びると時を同じくして応仁の乱がおこり、日本は「和」の利他の文化を捨て、下剋上に象徴される利己主義に覆われます。
「国は破れようが、社会が滅びようが、自分さえよければそれでいい」という現代の日本の世情は、まさしく、日本史上もっとも醜かった戦国時代に酷似しています。
天皇陛下の大御心を無視する政治に支配されると、日本は醜い国に成り下がるのはいつの世も同じです。
このような人心が乱れた世を修理固成できるのは、天皇陛下とその大御心に副い奉る国民しかおりません。
最後まで、南朝天皇と皇子を支えた流谷の人々の偉業を、私は継承したいと思います。
年明けから、多くの仲間が、むすびの里を、入れ替わり訪ねてくれました。
むすびの里の仕事づくめで2週間以上滞在した仲間もいました。
皆さんありがとうございました。
その中で、中学1年生の仲間の優希が、むすびの里の感想文を書いてくれましたので紹介します。
<感想文>
私は、熊野飛鳥むすびの里でたくさんの初体験をしました。その中で、特に印象深かった事は三つあります。
一つ目は、薪ストーブです。ガスストーブを見た事はあっても、本当に木を燃やして暖める薪ストーブを見たのは初めてでした。はじめは火が怖くて、怖さと興味が半々くらいでしたが、火の番に慣れてくると、自分でひょいひょいと薪を入れる事が出来るようになりました。薪を手で直接ストーブの中に入れるのは、怖くて出来ませんでしたが、次々と形を変えていく火を見るのは本当に飽きなくて、とても綺麗でした。食後に皆でストーブを囲むと、まったりとした雰囲気が良くて、心も温まりました。都会と違って沈黙も全然嫌ではなく、落ち着いた良い空気を作り出してくれていました。
二つ目は、花の窟神社のお綱掛け神事です。イザナミノミコトが亡くなったという日本書紀にも載っている、日本最古の神社の一つにワクワクしました。お綱掛け神事では、その場にいる人全員で、御神体の大きな岩(数十メートルはある)のてっぺんから海岸まで綱をかけました。はじめは皆で持っていて、ほとんど手を添えるだけだったのに、綱が少しずつ空に持ち上がって行くうちに鉛のように重くなっていって、持つのが大変でした。しかし、自分たちがかけた綱は壮観で、日の丸の扇や花が垂れ下がっていて、とても綺麗でした。それに、皆で神事に参加することで連帯感が持てた事が嬉しく、参加出来て良かったと思いました。
三つ目は、荒谷先生の特別稽古です。冷たい空気の中、ピリッと心身共に引き締まりました。しかし、先生の話と呼吸法を教えてもらっている間に足がしびれ、父子共に転んでしまいました。恥ずかしい限りです。合気上げや片手持ちの投げ技を教えていただきました。最近の稽古でも思いましたが、まだまだ力任せになっていたり、相手の人が自分から投げられようとしている感じがしました。しかし、荒谷先生と大石さんに脇を締める大切さや、体の動きを細かく教えていただいたので、最後の方は少し上達したと思います。この稽古で教えてもらった事を忘れないように、父と練習しようと思いました。身を入れて稽古に励んで、早く初段になりたいです!
熊野は本当に自然の恵みが豊かな土地だと思います。山や海に近く、とても綺麗な川がすぐそばを通っています。夜はプラネタリウムなんて目じゃないほどの、一つ一つが大きい満天の星を見ることが出来ました。それらを日常的に見ていたであろう、昔の人が羨ましくなるほどです。荒谷先生が少しおっしゃっていましたが、今の日本人は西洋人の暮らし方をしているので、様々な点で効率が悪く弱くなっているそうです。私も、たった一日薪割りをしただけなのに、手にまめが出来たり、自分が思いの外寒さに弱かったりして驚きました。熊野の自然を見ていると、西洋化や利便性の向上が、少しもったいなくなりました。日本人にあった生活をすれば、綺麗な自然を見ることが出来るからです。熊野での生活は、日々の雑念がすっかり取り払われる、濃くていい時間の過ごし方が出来ました。まるで自分の田舎のようでした。これからも、機会を見つけては行事に参加したり、訪れてお手伝いをしたいです。熊野が行き過ぎた都市化や、人がいなくなる過疎化をしないように、私もこれから出来る事をしたいと思います。
「むすびの里」での、修学や講習会で使用する図書館兼研修室「士卒復覚塾」の壁の全面塗り替えと床の改修が終わりました。
壁は、水戸の株式会社「根子左」社長根子清さんの薦めてくれた自然素材漆喰系珪藻土「エコ・クイィーン」を地元のベテラン左官の平谷さんが塗ってくれました。
それまで、湿気で黴臭く本も弱ってしまうほどの部屋が、匂いも湿気もない快適な部屋になりました。
本当に素晴らしい効果です。根子さん、平良谷さん、ありがとうございました。
さて、「士卒復覚塾」の名前は、古事記の神武天皇東征のお話に由来します。
『神武天皇と皇軍が熊野に上陸し大和へ向かう途中、熊野の神様の気に中てられて気を失ってしまった時、天照大神と高木神の命令で建御雷神(タケミカヅチノカミ)の刀(フツノミタマ)を高倉下(タカクラジ)に高天原から降ろし、神武天皇のもとへ持って行かせた。すると、神武天皇は目を覚まし、皇軍士卒も再び目覚めた。』というお話です。
今の日本は、日本人が日本人であることを忘れかけたがために、国内外の毒気に中てられ、日本人としての問題の解決策を見失った状態のように見えます。
現代の諸々の問題を解決するためには、毒気を含んだ理屈に振り回されることなく、日本人が日本人として目覚めることこそが必要なのだと思います。
そのような思いで、「むすびの里」の学びの場を「士卒復覚塾」としました。
私は、「むすびの里」を、先に修理を終えた「韴霊(ふつのみたま)道場」で心身を錬磨し、「士卒復覚塾」で知能を啓発し、日本を救済し世界を平和へと導く人間育成の場としたく思います。
本日、世界遺産「花の窟神社例大祭」に参列し「お綱掛け神事」に、むすびの里滞在中の仲間、新井さん一家、星さん、菅さん、熊田君等と9名で参加させていただきました。
花の窟神社は、日本書記に「一書曰 伊弉冉尊(いざなみのみこと)火神を生み給う時に灼(や)かれて神退去(さり)ましぬ 故(か)れ紀伊国 熊野の有馬村に葬(かく)しまつる 土俗(くにびと)此神の魂(みたま)を祭るには 花の時に花を以って祭る 又鼓 吹幡旗(つづみふえはた)を用て歌い舞いて祭る」とあり、イザナミノミコトの御陵で日本最古の神社として祀られています。
お綱掛け神事は、日本一長いともいわれている長さ約170メートルの大綱を岩窟上45メートル程の高さの御神体から境内南隅の松の御神木にわたす、太古の昔から行われている神事です。
本当に素晴らしい体験をさせていただきました。
ありがとうございます。
次回の「花の窟神社例大祭・お綱掛け神事」は、10月2日です。
皆さん一緒に参加しましょう。
むすびの里の紅梅の花一輪が開花しました。
季節としての四季は、単に春夏秋冬を毎年繰り返すサイクルではありません。今年の竹林は去年なかった若竹が勢いよく生え、落葉樹の葉は新しい若葉です。自然界のすべてが一年をかけて成長して変化しているのです。
人間も、自分自身が自然の一員としての体験を積み重ねれば、周囲の変化の中に、常に新しい発見があり、その発見を通じて自分も成長していることがわかります。日々、草木が成長するように、自然の一員たる自分も一年分の経験を積み重ねて着実に成長しています。心も身体も、決して去年の自分に戻るわけではありません。つまり、四季は繰り返されるサイクルではなく、経験という成長のスパイラルなのです。自然の変化はすべてが成長であり、自然とともに生きて成長する「学び」は豊かで無限です。