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カテゴリー: 日々

日々の生活雑記

韴霊(ふつのみたま)

神武東征(荒谷謹解)

神武天皇は、長兄長兄五瀬命、次兄稲飯命、三兄三毛入野とともに
日向を出発し河内国草香邑白肩津に上陸し
大和を目指すが、孔舎衛坂で長髄彦と激戦
この戦いで、長兄五瀬命は負傷し竈山にて崩御
日に向かって戦うことを避けて戦うべく、紀伊半島を海路迂回
先ずは天磐盾(新宮)に上陸し状況把握
熊野灘を海路迂回するも熊野灘で海難に遭遇し
次兄稲飯命、三兄三毛入野命、自ら海に身を投じて崩御す
残された彦火火出見命(神武天皇)は荒坂津に上陸
しかし、熊野の神の毒気に卒倒し、皇軍復振不能に陥る
これを心配した天照大神は、建御雷之神に命じ、聖剣「韴霊」を熊野の高倉下(たかくらじ)に与えて神武天皇に届ける
すると神武天皇は目を覚まし、続いて皇軍士卒もまた復醒する

今時代は、日本人が覚醒する時です。
むすびの里の武道場の名称を「韴霊道場」とした所以です。

先日、神武天皇上陸之聖跡碑跡がある楯ヶ崎と、伊弉冊尊を御祀りする花窟神社前の七里御浜で奉納演武をしました。

写真撮影:戦場カメラマン横田徹

学び

サザンカが山を彩る季節になりました。

さて、私の熊野での生活は、山仕事から始まりました。
山仕事の先生は、同じ自治会の滝爪さん(72歳)。
滝爪さんから学ぶ日々の仕事は、人間が自らの体験を得て身につけた叡智の塊です。
今日は、薪ストーブのための薪置き場を作るため、杉の木を縦半分に引き裂くやり方を教えてくれました。

以下は、次に出版予定の私の著書の一部です。

子供のころ、私は勉強が嫌いで、授業中も落ち着きがなかったので、小学校でほぼ毎日廊下に立たされていました。しかし、廊下に立たされると、これ幸いとばかり、そのままどこかへ行っちゃうものだから、今度は職員室で正座です。ですから、職員室では教職員並みに『顔』はよく知られていました。
中学校でも相変わらず授業に飽きて勉強に集中できず、よく先生の拳骨(げんこつ)を食らいました。
楽しみは山、川、田んぼでの遊び。遊びといっても、ワラビ、ゼンマイ、フキ、ミズ、ボンナ、セリ、タケノコなどの山菜採りや、クリ、クルミ、アケビ、サルナシなどの果実、川ではドジョウやエビ、ヤツメウナギ、ナマズなどを捕まえて夕食のおかずにするのです。
学校の行き帰りは、人の庭に生えている柿やブドウ、ナツグミ、スモモなどを収穫し、食べながら通学するのが日常でした。
祖父の畑仕事の手伝いも楽しい日課でした。祖父と自然から多くのことを学べるからです。専業農家ではないので畑は小さかったけれども、大根、人参、茄子、白菜、サヤエンドウ、キャベツ、トウモロコシなどの野菜はもちろん、イチゴ、ウリ、スグリ、クコ、イチイなどの果実もいっぱい実り、いつでも食べ放題でした。家の汲み取り式便所から肥やしを桶(おけ)に汲んで畑にまいたり、野菜についた昆虫は採集して、虫カゴで育てて観察しました。
ニワトリとウサギの世話は私の仕事でした。ストーブに使う薪はノコギリで斬ってナタで適当な大きさに割ります。男児としての尊厳を守るため、たまにする喧嘩も大事なことでした。
これらのすべてに「学び」がありました。その時々に目的を持って自由に考え、工夫し、試した結果を自分で確認し、それを改善して再び挑むことで、自分の成長を実感することができるのです。
他方、学校の教育では、特定の人為的尺度、つまり試験やテストの成績で成長を評価されます。
テストの正解だけが絶対的価値を持ち、それ以外の答えはすべて誤りとされます。成績が悪いと、人間として劣っているのかのようにみられることもあります。
このような環境では、知識の蓄積はあっても人間としての成長を感じることはできません。決められた答え以外は間違いとされる監獄で暮らす囚人が、模範囚となるためにせっせと正解といわれるものを覚える努力をしているようなものです。これでは、どんどん自己を失い、人間本来の内面の成長が置き去りにされてしまいます。
これは、「憑依(ひょうい)」という状態に似ています。一般的には、取り憑(つ)くのは、おどろおどろしい悪霊や霊媒と思われがちです。しかし、本来は、自己の本来の意思を何者かに乗っ取られる状態です。
現代人は、啓蒙という価値観の強要教育によって、また何者かに支配されたメディアの情報によって、本来の自己意思による思考や判断力を失い、与えられた価値観に思考や判断が支配されているように思えます。
自ら体験し考えて確かめた尺度によらず、ほかから与えられた尺度に依拠(いきょ)した思考や行動は、まさに現代特有の自己喪失した「憑依」状態だと思います。
とはいえ、与えられた価値観と思考方法を身につけなければ、学校のみならず役所や会社の評価が下がってしまうので、多くの人は自らすすんで「憑依」を装います。そしていつの間にか自己の主体性を放棄することになってしまいます。私もまた「こんなことを覚えてどうするんだ!」と思いながらもいやいやながら勉強を続け大学に進みました。
気候風土や歴史伝統文化、つまり人間の叡智を無視した社会思想や法制度、利便性だけを追求する生活環境、マネーに縛られる価値通念に疑問を持っていた私に転機が訪れたのは二〇歳のころでした。
それは、成田闘争と三島由紀夫でした。成田闘争では、政府と戦後保守はマネーと法制度を理由に、左翼は主義思想を理由に、先祖が開拓し継承してきた共生の農地を守りたい農民の意思をまったく無視して実力で踏みにじりました。
三島由紀夫は、このような外来保守と外来左翼を厳しく批判し、「文化防衛」を主張しました。最近は、外来種生物が、自然環境を破壊しているとして問題視されていますが、いちばん問題が多い外来種生物は、外来思想に憑依された日本人です。
一人ひとりの人間が主体的に生きるためには、自分の体験と思考を元に成長していかなくてはなりません。現実には、私たちは社会集団として生活していますから、社会集団としての体験と思考は慣習として継承されます。これが、伝統・文化(ローカル・スタンダード)と言われるものです。
私は、グローバル・スタンダードといわれる尺度や規範に従って生きるのではなく、自らの学びと経験から尺度と規範を見いだし、自分がどう生きるべきなのか、社会はどう在るべきなのかを真剣に考えようとしたのです。
そう決意したとたん、今までの自分が、なんと主体性がなく、思考の自由がなく、他律的で勇気がなかったかを理解することができました。

今、私は60歳を間近にして、本当の日本人としての「学び」に、日々、幸福を感じています。

おまけ

はやした木の枝にセッコクが生えてました。
きれいな花を咲かせるよう大事に育てます。

猪鍋

一昨日、むすびの里で、飛鳥猟友会会長の桑原清志さんが獲った猪鍋を囲んで、飛鳥町と五郷町の方達30名ほどが集まって「むすびの会」を開催しました。
ちょうど、手伝いに来てくれていた、ロシアのタチアナさん、アメリカのキアナさん等も一緒に新たな「むすび」が生まれ、本当に楽しい時間でした。
また、五郷にIターンして住んでいる森野さん家族の子供たちや飛鳥、五郷等の子供たちにも、来年から「むすびの里」で武道の指導も始める話もまとまりました。
まさに、「むすび」は「産霊(ムスヒ)」! 万物万象の創造です。人と人、人と自然、人と神々のつながりから未来を築いていきたいものです。
おやじ

報恩感謝

毎日、「むすびの里」の手伝いに来てくれる飛鳥熊野本郷自治会の滝爪さん。

やはり自治会長で林業のプロ、狩猟のプロである自治会長の花尻さんが、図書室の裏1メートルのところに生えていた直径60㎝超のヒノキ等数十本の木をはやしてくれました。
私のチェーンソーではなかなか引けない木が、花尻さんの手にかかると、まるで豆腐のように切れます。

滝爪さんに「それだと木が切れる前に息が切れる」と言われ、見かねた花尻さんに歯を研いでもらうと、あら不思議!スパッと切れるではないか!!

家の屋根に倒れきそうな高さ30メートル超の大木も、72歳の滝爪さんが、木に掛けたワイヤーを引っ張ると、倒したい場所に倒したいタイミングでピシャリと倒れます。

さすが!まいりました!頓首!

熊野の神々、滝爪さん、花尻さんの御恩に応えれる自分でありたいと思います。

おやじ

 

焚火

今日の中日新聞に「熊野飛鳥むすびの里」が紹介されました。
http://www.chunichi.co.jp/article/mie/20181117/CK2018111702000018.html

今日、伐採して払った木の枝を薪にして、真っ暗になるまで焚火をしました。
薪が、最後の最後まで完全に燃え尽きて、真っ白なきれいな灰になる様子を見て、このように生きたいものだと思いました。

私は、熊野での自然と人々の繋がりこそ日本の伝統文化の生きた姿だと思います。
私が守りたい日本は、まさにこのような生きた日本の文化伝統です。
私は、その中の一員として精一杯生きていこうとおもいます。

むすびの里おやじ 荒谷

共生文化

ここ熊野飛鳥の木々の葉も日々色合いを深め晩秋を美しく彩っております。
熊野の素晴らしいところは自然だけでなく、ここに住む人たちです。

 

ここでは、みんなが、人のために生きることを当たり前のようにしています。

 

毎日いろいろな道具をもってきて助けてくれる自治会の滝爪さん
問題があれば、即日手配をしてくれる中村さん
そして、先日は熊野商工会議所会頭の榎本さんが、丸一日熊野の案内をしてくれました。
朝0730に車で迎えに来てくれて、船で熊野灘から柱状節理が際立つ海岸線を見学。市会議員の久保さんも同行。
車に乗り換えて、熊野市観光協会会長中平さんの運営する「アマゴの養殖と山里民宿:赤倉水産」訪問。アマゴを大量にもらう。中平さんは後継者募集中とのこと。
続いて、丹倉(あかくら)神社経由、大丹倉(おおにぐら)の頂上でおにぎりを食べる。
榎本さんしか走れない様な山道を飛ばして長尾山頂から熊野市と七里御浜を展望。
和歌山、奈良、三重が複雑に入組む北山川~熊野川沿いに走り布引の滝・荒滝へ。
最後は、丸山千枚田経由、熊野古道松本峠。夜は頂いたアマゴを自分たちで調理して戴く。中平さん榎本さんに感謝。熊野万歳!

 

むすびの里おやじ 荒谷

むすび

11月4日の開所式が、多くの方たちとの「むすび」によって、清々しく執り行われたことに感謝しつつ10日経ちました。

「むすび」の言葉は、神話の「産霊(むすひ)」からきていますが、これは、万物万象の創造エネルギーです。

このエネルギーを頂戴して、この10日間、20年以上の年月で枯れ葉が堆積して埋没した雨水路の復活、家に迫ってきた森林の伐採、薪ストーブの燃料となる薪づくり、薪に使えない木々や枯草の焼却等、日々肉体労働に精を出しています。本来、仕事とはこんなに気持ちがいいものだと気づかされ、心と体が蘇るような幸せな気分です。生かされ働けることに感謝感激の日々です!

むすびの里おやじ 荒谷