稲刈りが終わり、連日、田んぼ(5000坪)と敷地(5000坪)の草刈りに追われております。
畑も、夏野菜がほぼ終わり、落花生の収穫に取り掛かっております。
ピーマンだけは、いまだに毎日大量収穫が続いており、近所やお手伝いに来た方に分けて食べてもらってます。
冬春野菜も植えたのですが、なかなか手が回りません。
年中無休で死ぬまで忙しいのが百姓の醍醐味です。
日々の生活雑記
熊野飛鳥むすびの里のワンちゃんが4匹になりました。
むすびの里には、開設当初から一緒に住んでいる「ひさ」(アイヌ犬雑種雄)がいます。
亡くなった息子「武日佐」の代わりに共に暮らす家族として「ひさ」と命名しました。
「ひさ」の任務は「畑守」。イノシシやシカから畑を守ってます。
一年後、紀州犬の「しろ」が「ひさ」のお嫁さんでやってきました。
3度出産し、14匹の子供を産みましたが、13匹は里子に出して、1匹だけ残ったのが「ひと」です。
「ひと」の任務は「山守」。熊から里を守ってます。
母親の「しろ」は亡くなってしまいました。
3年ほどして、「ひと」のお嫁さん候補として、「ふた」(琉球犬雑種雌)がやってきました。
残念ながら、二匹の間に子供はできていません。
「ふた」の任務は「鶏守」。テンやムジナから鶏を守ってます。
四
そしてこの度、私の故郷秋田県大館市のハチ公の子孫を母とする「みー」(秋田犬雌)がやってきました。
「みー」の母親の故郷である大館市二井田村は、私の祖父の故郷でもあります。
二井田村は、奥州藤原氏四代泰衡公終焉の地で、江戸中期の農本思想家安藤昌益の生家跡と墓所もあります。
「みー」の任務は「里守」予定。
宜しくお願いします。
発育が遅れて心配しておりましたが、暦通り稲穂が出てきました。感謝。
日本における米作りは、ただ作物の生産という意味以上のものがあります。
3大御神勅の一つに「斎庭稲穂の神勅)」があります。天照大神の孫にあたる瓊瓊杵尊が地上に降りる、つまり天孫降臨のときに、天照大神が高天原の神聖な田で収穫された稲穂の種とともに授けられて、これを地上でも広めて民が安心して暮らしていけるようにせよ、との神勅(お言いつけ)です。稲穂を以て、この世を天国や極楽浄土のように豊かで平安な地にせよとの含みがあります。他律的あるいは死後の救済にすがるのではなく、自分達の力でこの世を天国のようにしようとする日本人のあるべき姿を示しております。
心穏やかに仲睦まじく暮らすためには衣食住が欠かせませんが、なかでも食は必需品です。そのために稲穂の種を授けられた。つまり日本の稲作は、天照大神に種を授かったという神話から始まっています。だから、日本人にとって米は特別なものなのです。御歴代天皇は、国家の統治を「食國しろしめす」と表現なさっています。人々の食をたしかで豊かにすることが国を治めることの基本であると繰り返し詔しております。日本人にとっての稲作は、個人の収益事業としての農業ではなく、共同体の生命活動、和を育む実践教育の場、先祖から受け継ぎ子孫に伝え残す文化伝統、自然との共生の実践の場としての「農」なのです。「農」を通じてこのような価値観を共有できる人を一人でも多く増やしていく。それが日本の伝統的な共同体、生き方を取り戻す道だと思います。
私の祖先に、安藤昌益という人がいます。江戸時代中期の医師で思想家でもあった人物で、農業を中心とした無階級社会を理想としていました。彼は、万物生成の創造的自然のなかで、人間もまた、額に汗して自らの運命を切拓く主体的創造者として生きることを理想とし、「天地一和の直耕」を主張していました。鍬を持って自分の力で土地を耕し、自立して生きるのが人間として正しい姿だというわけです。仏教や儒教のように教典を読んだり勉強することで徳を積むのではなく、土と交わり、一所懸命農作業に身を置くことで人は徳を積むことができる、そういう考え方です。農をやることで、人間も自然の生成活動そのものに参加できます。そうやって作った米は、自分を養うだけでなく、ほかの人も養うことにもなります。子供や年寄りなど他者の命も自らの努力で養っている事実は、社会の中核的生産者としての自負と責任を自覚し、 生きていくための自信にもつながるものです。