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カテゴリー: 活動報告

ロシアから帰国

9月1日から9日まで、ウラジオストックに行ってきました。
私の武道の弟子のオレグさんから、ウラジオストックで武道セミナーを開催してくれと10年以上前から頼まれていましたが、今回ようやく実現しました。
オレグさんは、州立海事大学(Maritime State Univercity)のスイミングプールの管理運営及び教官をしており、大学長の招待で伺いました。

また、ちょうど同じ時期にウラジオストックで開催されている「東洋経済フォーラム」への招待状も頂き参加してきました。
こちらは、プーチン大統領の肝いりで始まった、今年10回目となる国際フォーラムで、約80か国7,000人が参加する大規模なイベントです。
当然、プーチン大統領も参加しスピーチをしました。

私は、このフォーラムにおいて、イザベスチア、ロシアトゥデイ、スプートニクなどといったロシアの主要なメディアやインドネシアch1METRO等BRICS諸国の主要メディアからもインタビューを受けました。
報道された一部はこちらからご覧になれます。

https://t.me/sputniklive/102476

ドイツやオーストラリアなどいわゆる西側諸国において、政治的弾圧を受けロシアに避難してきている反グローバリストたちからも取材を受けました。

武道セミナーは、州立海事大学の体育館で開催され、ウラジオストックに所在する諸々の武道場やロシア各地の荒谷流武道場の門人たちが参加しました。

「第63回熊野飛鳥むすびの里勉強会」及び「荒谷流武道教室」終講

今回の熊野飛鳥むすびの里勉強会は、執筆家の宇山卓栄氏が「ユダヤ人と世界の紛争」という題でお話ししました。
仲間の皆さんは講演の動画をHPでご覧ください。

荒谷流武道教室では、生き方と武道稽古についてお話しし、心と身の芯の作り方を稽古しました。

「荒谷流集中稽古」終講

5月31日~6月1日、荒谷流集中稽古を実施しました。
今回は、荒谷流モスクワ道場「玄武館」館長のスモリャック兄弟も参加しての稽古となりました。
早朝から夕まで、みっちり稽古が出来ました。
参加者の皆さんには、「常在戦場」について以下のようにお話ししました。
危険や困難に対する対応は大きく2つ、「逃げる」か「立ち向かう」か。
「立ち向かう」とは、危険が危険でなくなるまで実力を身につけること。困難が困難でなくなるまで成長すること。
戦場という、危険で困難な環境にあっても、危険を危険とせず、困難を困難としないほどに鍛練と修身を重ね、常に清々しい気持ちでいること。
この晴れ晴れとした無敵の境地を「常在戦場」とすべし。

第1回日露青少年文化交流

第1回日露青少年文化交流を熊野で開催しました。
9歳から16歳までのロシアの学生たちが熊野を訪れて、学校研修、熊野の文化行事参加、和太鼓演奏やエゴマ餅づくり、竹灯づくりなどに挑戦しました。
また、各自日本の家庭でのホーム・ステイも体験し日本の子供達との友情を育みました。最後は、ロシアン・ナイトに日本人を招待してくれ、ロシアの料理や歌などでもてなしてくれました。

今回の企画は、私の武道の弟子で、ロシアの小学校の先生2人が「日本とロシアの子供たちの学校交流をしたい」との申し出で始まりました。
熊野在住の東さんが、ロシアの子供たちの受け入れを引き受けていただき、日本側の学校との交渉を行いましたが、偏向報道と日本の制度的障壁でうまく進まず、最終的に文化交流を目的とした企画となりました。
ロシアでは、小学校の担任先生が発意すれば、簡単に海外との学校授業交流ができるそうなのです。社会統制が厳しいのは、どうやら日本のようです。

令和7年熊野飛鳥むすびの里お花見

今年は、満開の桜の下でお花見ができました。
熊野鬼城太鼓さんの演奏や篠笛の演奏、そして、ロシアから青少年文化交流で招いた9歳から16歳までの子供達10名も参加し、ロシアの伝統衣装で伝統の歌を歌ってくれました。
私も「祭」を歌ってしまいました。
めでたしめでたし。

第27回東京民草の和をつなぐ会」及び「東京荒谷流武道教室」終講

民草の和をつなぐ会では、グローバル資本主義破綻後の日本と世界における神武建国の理念「八紘為宇」の意義についてお話をしました。

(抄)個人から全体を考える西欧の思想の終着点が「少数のグローバル・エリートによる全人類の完全管理世界」であり、それが破綻する今、全体から個人を考える日本の伝統思想が新たな秩序になりうる。
本来、宇宙が生成し、地球が生まれ、人類が地域ごとに社会を形成してきた自然の摂理を考えれば、「宇宙と地球自然の一部としての自己」のように全体から個人を考えるのが当たり前。
私達は、元々「八紘(宇宙)を家として生まれてきた」のだ。日本人が目指す「八紘為宇(天の下に一つの家のような国造り)」は、人間が各個ばらばらに存在するのではなく、自然本来の節理に戻り「和して一つになろう」という理念である。

講義の内容は、熊野飛鳥むすびの里ホームページ「仲間専用」にてご覧になれます。

荒谷流武道稽古では、「総体の絞り」について稽古しました。

(抄)「総体の絞り」とは、臍下丹田を自分の中の天御中之主神(中心)として心身をその一点に集中することで、総ての力を発揚する武道の原理である。
この原理こそが、日本の文化の本義である和の思想「中心への帰一」「報本反始」「神人合一」を自らが体顕する武道の極意である。

「神武建国記念特別文化研修」終講

神武建国記念日、まことにおめでとうございます。
日本民族の向かう「八紘為宇」の理想国家をお示しいただいたことに心から感謝申し上げます。
我々は、建国以来の日本民族の彼岸に向け全身全霊で力を尽くしてまいります。

日の昇る東より大和に向かうべく、紀伊半島を大きく迂回する途中、海難にあった熊野灘から漂着した楯が崎まで海路進みました。

難破して上陸した荒坂の津(楯が崎)から陸路、海難で海に身を投じて亡くなられた神武天皇の兄君稲飯命(イナヒノミコト)の御遺体をお祀りした室子神社、同じく御遺体は見つからなかったが波の穂を踏んで常世の国に去った神武天皇の兄君三毛入命(ミケイリノミコト)の御魂をお祀りした阿古師神社に参拝しました。

熊野に上陸し、神武天皇一行が道を切り開いて進んだで紀伊半島の険しい山岳路を三重県熊野市飛鳥町~北山~井光~川上~穿邑(奈良県宇陀市菟田野)と進みました。
穿邑では、神武天皇が最初に陣営を取り弟猾(オトウカシ)を呼び寄せた小高い丘から周囲の地形を鳥瞰、天皇を騙し打ちしようとした兄猾(エウカシ)を殺した菟田の血原(宇賀神社)を研修しました。
熊野から宇田まで、神武天皇太刀を案内してきた八咫烏(建角身命)を祀る八咫烏神社に参拝、その後、国見の丘に立ちふさがる八十梟帥の軍勢と陣地を眺望する為に上った高倉山近くの展望台から当時の両軍軍勢の配備を確認しました。
神武天皇最大の激戦地となった忍阪(女寄峠)を研修し、敵を奇襲する為墨坂方面から迂回作戦をした丹生神社一帯を研修しました。
その後、八十梟帥軍勢の予備軍が集結していた磐余村と敵陣を偵察する為に向かった天香具山を研修しました。

最後に、神武天皇御陵に参拝し、第二代綏靖天皇御陵、第三代安寧天皇御陵、第四代懿徳天皇御陵を巡り、久米邑伝承地、築阪邑伝承地を研修しました。