地元の人を中心に、東北、関東、関西各方面から30名を超える参加者の中
むすびの里代表の荒谷卓が「日本の防衛」について
1 守るべき日本とは
2 戦後日本の防衛政策の歴史と現状-自衛隊創設から現在まで
3 何から何を守るのか
という流れで、プレゼンテーションしました。
プレゼンテーションは、仲間の皆様が全編ご覧になれるように動画を準備いたします。
是非、ご覧ください。
勉強会後の懇親会も、飛鳥猟友会会長の桒原さんがその日に仕留めた鹿と猪料理で大盛況でした。
『Vitkova Tanya』さん
ターニャと申します。
ロシア出身。モスクワ大学卒業。
大学の専門が数学で、今はモスクワに住みIT会社でプログラマーとして働いています。
できるときにはボランティアとして特別な数学を子供達に教えていて、たまに子供達のための数学関連行事の手伝いをしています。
プロとしてやっていませんけど、時々即興ダンスとpoiパフォーマンスをしています。
自分のYouTubeチャネルには動画が少しありますので、ご興味があれば以下のリンクをご覧になってください。
数年前に、明治神宮武道場至誠館に関係するモスクワ大学の武道クラブに入って、おやじ殿(当時、荒谷館長)に出会いました。
その後、来日を始めて、日本のことを少しずつ学んでいます。
武道だけではなく、日本の雰囲気、大和の考え方、共生文化、神道等は、とても自分の心に共鳴しました。
ここ熊野には、荒谷先生のお手伝いをするために来ますが、自分はこの土地の素晴らしい自然の中で、自然と一体になり仲間と一体になって、共に生き共にいろいろな作業をしながら、心も体もだんだん平和になり復活している気がします。
地元の方々にはほとんど毎日お手伝いして頂いて、私達はいろいろなことを習い、本当にありがたい気持ちです。
むすびの里ではするべきことは何でもやりますが、今までに経験できた作業のうち、一番気に入ったのは山の仕事だと思います。
これからは、むすびの里のホームページのブログのロシア語翻訳を担当します。
興味がある方が居れば、機会があるときに、ロシア語やpoi等、自分ができることを教えてあげたいと思います。
よろしくお願いします。
5月2日~6日に開催した「春の禊と武道合宿」に参加した中学生の新井ゆきさんが、感想文を書いてくれましたので紹介します。
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「ヒサ、おっきい・・・」
私が熊野に行って一番驚いたのは、そこである。人懐っこくてカワイイ子犬だったヒサが、3ヶ月のうちに滅茶苦茶成長していた。精悍な顔立ちでとてもカッコよくなっていて、正直かわいげが減ったような気がしたけれど、やっぱり大好きで癒される。甘えっ子でよく人に懐くところと、賢いところは健在で安心した。ヒサのヨダレだらけになった私の道着がその証拠である。
その他に、この春の武道合宿で特に思い出深かったことは三つある。
一つ目は、多くの人とのコミュニケーションだ。私は初対面の大人にはあまり愛想がいい方ではないと思う。親しくなった後はともかく、初対面の時は何処かぎこちなくて、あまり積極的に話さない。しかし、合宿に参加している人はみんな面白かったり、優しかったりする人が多くて、大声で挨拶をしたりするのもすぐに戸惑いなくできるようになった。みんなで食事のお手伝いや稽古をしたことで連帯感も強まったし、皆さんが料理をしてくれたり丁寧に技を教えてくれたりするので、感謝の言葉が活発に交わされていて、とても良いプラスの人間関係があると思った。ヒサとも沢山遊んで、都会では体験できないのんびり素朴な時間も過ごせた。
二つ目は、理合の深さと稽古だ。 手首を掴まれたり、大人の木刀を受け止めたり、力の強さも、技のキレも違う、大人との稽古は疲れたけれど、荒谷先生の話は興味深くて稽古はとても面白かった。技のコツや、力の入れ方を丁寧に教えてもらったので、知らなかった複雑な技でもきちんとやれたのだ。また、今までなんとなくで済ませてきた理合いの概念もきっちりと知ることができて、今まで以上に力任せではない、効く技が出来たと思う。大人の中に混じってやったのも初めてだったが、その分高レベルで多くのことを学べた。最後には荒谷先生に基本立ちを受けていただいて、自分の改善点を認識出来たし、何よりも型を完全に覚えられたので嬉しかった!根本的な力の込め方や基本的な構えのコツをたくさん教わったので、合宿でやっていない技にも応用できると思う。
三つ目は、初めての禊だ。川の水は昼でも冷たかったのに、初めて朝に入った時は冷たすぎてピリピリ痛みを感じるほどだった。しかし、禊に行くまでの過程が面白い。岩を登り降りするのは楽しかったし、鳥船の歌は独特の節が面白く、以前から好きだった。もちろん、入水して祝詞を奏上したり雄叫びをやるのも、身も心もすっきりとして気持ちよかった。禊ぐ、と祓うということの違いを今まで知らなかったが、どちらも心がスッキリして、気持ちが良いのは同じだ。個人的には自身の力で身を清める禊の方が好きなので、何か悩み事があってモヤモヤしている時には、シャワーの水をかぶって、自らを禊いでみようと思う。
今回の合宿で、不明瞭だったところや気にかけていなかった理合の概念、神話など、様々なことを学べた。そういうことを学べることだけでなく、大自然に触れ合って、都会では感じることのできない自然の中にいる安心感を抱けたり、皆さんとの心の交流ができる「むすび」の機会が溢れているところが、この「むすびの里」の良いところなのだと思う。私は現在5級で、年齢に比べてまだまだ未熟なのが悔しいし、もっと極めておきたいので、6月の昇級試験では飛び級を狙う!この合宿で学んだことを活かすのはもちろん、自然の中で祓い、禊いだ心で、真剣に武道と向き合っていこうと思う。
三重県熊野市【楯ヶ崎と海金剛】
「日本書紀」に曰く
瀬戸内海を渡り、難波から上陸し大和を目指した神武天皇一行は、長髄彦(ナガスネヒコ)の抵抗に会い退却します。
この際、長兄五瀬命(イツセノミコト)が矢に当たり負傷して崩御。和歌山市の竈山に葬られます。
日を背にして大和に向かうべく、紀伊半島を迂回した神武天皇一行は、先ず、新宮の天磐盾(アメノイワタテ)にのぼり敵情を把握。開豁した七里御浜を避けて海を北上しますが、海難に会い、次兄稻飯命(イナイノミコト)、三男三毛入野命(ミケイリノノミコト)は、海難を鎮めるため自ら海に入水します。
神武天皇も目にしたであろう熊野の海岸線
それはちょうど、三重県熊野市有馬の花窟神社に葬られた伊弉冊尊(イザナミノミコト)の前あたりでしょうか。
そして、最後に残された四男神武天皇が大泊~新鹿~楯ヶ崎のあたりに漂着し、そこから陸路、橿原に向かわれ大和を創建されます。
熊野は山川だけでなく、海も神話の宝庫です。
楯ヶ崎の目の前で鯨が迎えてくれました。