高市政権下で、再び憲法改正が現実味を帯びてきたが、憲法改正にあたっては、まず、「現日本国憲法とは何か」を正しく認識しておく必要がある。
そもそも、国を形成し存続するためには、共通の目的意識を持った国民という集団形成と、国民集団としてその目的を具体化する為の行動が継続して為されていなくてはならない。現状の日本は、マッカーサー統治下に施行された憲法がいまだに有効とされている為、米英そしてマッカーサーが主張した(普遍的)価値観を目的化し、天皇陛下の大御心である詔勅及び日本人の伝統的価値観を目的化する一切の憲法改正や法令を禁止している。また、その強要された目的を遂行するにあたっては、日本国民の安全と生存に関わる権利を自ら行使することを放棄し諸国民(=米国)の公正と信義に信頼することを規定している。
当時、マッカーサーは、極東委員会の方針やトルーマン大統領の考えをも逸脱するほどの強権を発動し日本統治を遂行した。
1945年8月29日の大統領通達「降伏後における米国の初期における対日方針」では
〇日本の武装解除及び非軍事化
〇経済上の非軍事化
を指示していたが、マッカーサーは、さらに踏み込んで国家の主権の発動たる自衛権の行使も認めないとする「戦争放棄の宣言」を日本に求めた。
1946年7月2日に極東委員会がマッカーサーに指令した内容は
〇国民主権
〇普通選挙による代議政治
〇司法権の独立日本国民の自由に表明された意志によって憲法の改正を選択
〇天皇制の廃止または民主的修正
〇天皇の軍事上の権限を一切剝奪
〇天皇は新憲法で規定する以外のいかなる権限も有しない
〇全ての皇室財産は国有化
というものだったが、これらを予期したマッカーサーは、自己の要求を通すために先手を打った。
1945年10月11日、マッカーサーは、幣原首相(当時)に対し「日本国民が数世紀にわたり隷属してきた伝統的社会秩序はこれを是正する必要がある」と日本国体の破棄を指示した。1946年2月3日には、民政局長ホイットニーに、以下のような内容の憲法改正の要点(マッカーサー・ノート)を手渡した
〇天皇は国家の元首の地位にある(米軍統治のための天皇利用)
〇完全なる軍事権限の放棄(自衛権も行使できない)
〇日本の封建制度は廃止される(庶民の生活慣習まで強制変更)
これに基づき、ホイットニーは、民生局のケーディスに指示して約1週間で憲法草案を作成し、1946年2月13日、マッカーサー草案を日本政府に手交した。この際、日本政府が作成した松本(国務相)憲法草案を拒否し、天皇制は司令部提案以外不可、これ以外は天皇の身体も保障せずとし、「この案(マッカーサー草案)のような改正案を日本政府に命ずるものではないが、この案と根本原則及び根本形体を一にする改正案を速やかに作成提出すること」と指示した。
1946年3月4日、日本政府は、マッカーサー草案に基づく「憲法改正要綱」をGHQ民政局に提出し認可を受け、同年4月7日「憲法改正要綱」を公式発表、6月8日枢密院で天皇裁可、8月26日衆議院可決、10月6日貴族院可決、10月7日帝国会議で憲法改正した。こうして、マッカーサーに強要された憲法は、「日本国民の自由に表明された意志によって改正された憲法」を装うことになった。
この間、日本政府がマッカーサー草案を修正したのは以下の点だけで、あとは全て、マッカーサー草案の内容をそのまま憲法条文とした。
〇9条2項冒頭に「前項の目的を達するため」という文言が挿入(芦田修正)
〇人権規定:「外国人に対する法の平等な保護」を直接訴える条文を削除、いくつかの条項で主語「人民・自然人、外国人等」を「国民」と書換え
〇「皇位決定の決定権は国民固有」を排除
〇国会を一院制から二院制に変更
〇国会による「最高裁判所の違憲判決」への再審手続きが削除
〇地方自治:主語を「住民」から「地方公共団体」に変更
以上、初期の米国の日本統治政策をまとめると以下のようになる。
〇連合軍最高司令官=暫定日本統治者
〇GHQ=暫定日本政府
〇政治(立法)・行政・司法全権を掌握
〇日本の伝統的文化・社会秩序の破棄
〇天皇を米軍統治に利用
〇完全なる軍事権限の放棄
〇上記政府転覆の指令書としての憲法改正
〇上記全てを日本国民に秘匿して実行
結果として現憲法には、日本の国体を壊す為、前文や98条、99条に、日本の伝統的価値観を排する米国の価値観が記載された。危機時に対処できない9条の規定や、国民以外の「何人」に対しても権利が与えられている規定(マッカーサー草案の残骸)も外国人移住が拡大すれば国家の破壊につながる。
現下の日本の衰退と崩落ぶりは、消費税とか移民とか食糧問題とかの個別の問題からきているのではない。それらは全て日本国憲法に通底する日本国体の破壊と文化集団としての日本人消滅の悪意から生じ、現在ではその日本解体指令書のような憲法の下にできた政体がグレートリセットという同じ趣旨の世界的グローバル化政策を推し進めていることによって生じているのだ。
日本人として歴史を貫く価値観と目的意識が「国体」である。政体は、政治、行政、司法を運営する主体の総称だが、その運営に当たっては常に目的が必要であり、その目的が「国体」である。仮に「国体」を憲法として成文化するならば、その一番初めには、「日本とは何か」「日本人は何を為すべきか」が明示されていなくては日本の憲法足りえない。そしてそれは、日本全土に存在した家族的共同体をより大きな家「国家」として和合する事業に最初に取り組まれた神武天皇が、日本建国の理念として「八紘為宇の詔」でお示しになっている。これをそのまま憲法とすることが最も明解である。要すれば、「一つの家族のような国民と一つの家のような国を君民一体となって創り為そうではないか」との呼びかけを、今の世でも分かりやすいよう解釈すればそれで十分だ。
世俗の政体や国家の運営は、この詔にあるように、その時々の情勢や個々の事情に従い「国民(おおみたから)が幸せになる」ように取り成せば良い。米国のような世俗国には国体はないので、政体の規定を憲法で規定せざるを得ないであろうが、日本においては政体の規定は、世々の世俗法で定めるべきもので憲法にはなじまない。
現行憲法が全面改正されたとき戦後(占領下の)日本が終わり、憲法に日本の国体が規定されたとき祖国日本が復活する。
物事には段取りがあって、国体を正してからでないと全ての政策、法律、行政は元から誤ることになる。安保・国防議論はあまた存在するが、しょせん現憲法思想下での安全保障・国防政策は日本を害することになる。それについて簡単に説明する。
当時、マッカーサーは、極東委員会の方針やトルーマン大統領の考えをも逸脱するほどの強権を発動し日本統治を遂行した。特に、日本の再軍備に関しては自衛権の行使も許さないとする考えで憲法草案を指示した。しかし、1947年、トルーマン大統領は、スターリンとのヤルタ協定を一方的に破棄し、スパイクマンの地政学に基づいた「対ソ封じ込め宣言」へと舵を切った。これを受けて、国務省政策企画本部長のJ.F.ケナンが、「東アジアにおける最重要国は中国である」との米国における伝統的発想を否定し、対ソ戦略上の日本の重要性を見直すことを提言した。「中国は将来にも強大な工業国・軍事大国になる見通しは無く、日本は極東における唯一潜在的軍事・産業基盤を持ち、勤勉な国民資質、反共思想、地理特性等からソ連封じ込めに使える」とし、米国にとって最も安定した戦略環境は「真に友好的な日本と名目上だけは敵対関係にある中国」であって、最悪ケースは「敵意を持った中国と日本」、危機ケースは「名目上は友好的な中国と真に敵意を持つ日本」という考えだった。
このケナンの提案がJ・マーシャル国務長官に受け入れられ、マッカーサーの日本滅亡政策は、再軍備と経済復興による日本の戦略的利用政策に変更された。これ以降、日本の軍事力と経済力は、米国の対ソ戦略に利用されてきた。しかも、戦略的パワーに欠ける中国の代用品としての位置づけでだ。
日本の再軍備にあたっては、憲法の思想とは対立するため、ポツダム条例を根拠に警察予備隊を編成した。海上警備隊も、もともと米側と密通していた野村吉三郎など帝国海軍将校が米軍の指示を受け編成した。したがって、憲法規定外の存在として国会審議もないまま、警察予備隊は米軍が管理運営を完全統制、海上警備隊は米海軍が運用する。つまり、日本の再軍備は、もともと日本国憲法外の存在で、ポツダム勅令を根拠とする米軍の補完としての戦力という形をとったわけだ。
サンフランシスコ講和条約以降、米軍統合参謀本部の計画により航空自衛隊は在日米軍の防空機能として創設され、日本政府は米国の経済支援を得るための条件として日米防共協定を締結した。また、在日米軍が占領時と同じ権限を保有できるように日米行政協定(後の日米地位協定)が結ばれ、これらを正当化するため日米安保条約が締結され、日米関係を維持するため自衛隊の防衛力整備が義務付けられた。つまり、自衛隊は、日本を防衛するためではなく、日米関係を維持するために存在してきたのである。
しかし、ソ連のアフガン侵攻を契機に米中は接近し、中国(ウイグル)への米軍の施設の配備と引き換えに米国は中国経済を支援した。中国の経済成長とともに、キッシンジャーは日本を切り捨て中国の戦略的利用を提言し、さらに、冷戦終結とともに、米国の戦略は対ソ戦略から新世界秩序構築へとシフトしたことで、米国にとっての日本の戦略的価値は一気に低下した。
戦略的価値を失った日本に残されたのは、巨大な金融経済資産と自衛隊という軍事力だ。この日本の金融経済資産が米国とグローバリストの収奪目標となり、自衛隊は米軍の補完戦力として利用される道を歩む。もともと、自衛隊は日本政府や日本国民の主体意思でできたのではなく、米軍の要請でできたものだから、米国は、自衛隊を米軍の戦略に有効に使えるようにするため、サンフランシスコ講和条約以降も、米軍事作戦への後方支援・予算支出、米国防衛装備の購入・配備、在日米軍経費の支出、日本の防衛技術移転等さまざまな要求をしてきた。
しかし、米軍による自衛隊の指揮・運用だけは、日本政府は憲法の規定を理由にそれを拒んできた。そこで、米国側は憲法9条の改正を迫ってきたわけだ。
冷戦が終結した2000年以降は、憲法の改正に代わって、集団的自衛権の行使を要求し、事実上の米軍による自衛隊の一体的指揮・運用を狙ってきた。そのための題材として使われたのが台湾問題で、台湾危機があるから集団的自衛権が提言されたのではなく、集団的自衛権を成立させるために台湾問題が使われたというのが実態だ。このような米側の強烈な要求によって成立したのが、第2次安倍政権下での平和安全法制の中の『存立危機事態』である。戦後日本の安全保障及び防衛政策は、スタートから根本的に間違っているため、事態対応策を取ろうとしても正しい国防成果には結びつかない。
今、注意しなくてはいけないのは、同じ憲法改正でも、9条のみの改正と緊急事態条項(国会機能維持条項)だけの盛り込みだ。
現状での憲法9条だけの改正は、自衛隊が米国の価値観で戦争し、米軍の指揮下で運用されることを意味する。そうなれば、将来、そうした戦争に従事した自衛官は国賊として歴史に名を刻むことになる。
全面改正のない緊急事態条項(国会機能維持条項)だけの改正は、グローバリストによる要請であり、憲法に規定されたすべての国民の権利規定が無効化し、グローバリストの影響下にある現政府の独断専制体制を半永久的に可能にする。しかも、警察力や自衛隊を使って国民を弾圧することも可能になる。現代版の安政の大獄だ。
今回の選挙で、高市政権による憲法改正が可能となった。国体を見失った傀儡政体による国の末路として、国外の意志による戦争や国民に対する強制措置が現実味を帯びてきたというわけだ。
こうした劣悪な現実的状況から離れ、国体から見た国家の安全保障と国防について述べる。
幸いなことに、世界の動向は日本の惨状とは反対に、米国による一極支配と米国の力を利用したグローバル資本による世界支配システムを過去のものになりつつある。一国さらには少数のマネー・エリートが世界のルールを強要し、さらには警察行動まで正当化するという狂った世界秩序から離脱し、自立した国家からなる世界システムの構築へと世界は動き出している。
そのけん引力としての役割を果たしているのがBRICSである。公式発表では、加盟国10か国、パートナー国10か国、その他加盟申請国は30か国を超えるとしている。実際には、それ以外のサウジアラビアやグローバルサウス諸国等は、明確にBRICSの政策と歩調を合わせており、2021年以降は、経済指標、資源保有量、人口、面積などあらゆるデータにおいてBRICSがG7を凌駕しており、その格差は年々拡大している。そのBRICSは、新開発銀行、国際決済制度、外貨準備基金などを整え、非干渉、平等、相互利益を基本的考えとして打ち出している。
これはまさに、戦前の日本人が唱えた大東亜建設の趣旨である。戦前、日本が目指したのは、「各国の政体は各国の択ぶところを尊重し差別や干渉をしない地域的共存圏を確立する諸国共存圏相互の協和関係に基づく新たな世界秩序」であった。互恵の下における交易は、相互国民の生活を等しく安全幸福にする有無相通の原則の下に行われ、安居楽業の楽天地を実現するとともに、各国は各々の特性を発揮して経済の発展を図り繁栄を相共に増進していこうというのである。八紘為宇の日本人の念願は、BRICSの枠組みで再挑戦することが期待できる。その為には、金融経済制度の抜本的転換が必要である。特に、通貨の自立は不可欠であり、ドルにペグされた現行の通貨制度はやめ円を金本位制に切り替えることが望ましい。米国に預けている日本の金は戻ってくることがないだろうから、努めて早期に日本国および民間のドル建て・米国債資産を全て売却して金に代え、日本の通貨を保証するに十分な金を蓄えなくてはならない。
軍事はロシアと同盟を組むことだ。日本にとっての最大の脅威は米国であり、それに対抗できるのはロシアだけである。また、近年悪化した対中安全保障面でも、ロシアと軍事パートナーシップを形成することで無意味な緊張を取り除くことができる。これによって、アングロサクソンの地政学的野望に日本が使われることはなくなる。BRICSに加盟すれば必要なエネルギーや資源の調達も保証され日本の自立と再復興が実現できるであろう。食糧の自給率や輸出入の課題は、米国の関与がなくなれば自律的に解決できる。公衆衛生や医療制度も、グローバリストの管理から解放され正常化する。晴れて、国体を掲げ、日本人の理想国家建設へと力を尽くす環境が整う。もちろん、それは新政体を国民の手で立ち上げ、正しい日本の国体を明らかにしてから為すべきものである。
