愛媛県西条市で「とよくも農園」を運営し、「ひの心を継ぐ会」を主宰している三浦夏南さん兄弟夫婦(1歳の満君も)と寺川さんが、むすびの里を訪ねてきてくれました。
自然農法でつくられたお野菜を頂戴し、飛鳥区長の桑原さんから頂いた猪で鍋を作り、酒を注ぎ、語り合いました。
初対面でしたが、兄弟夫婦全員20代前半の若さと志の高さに爽やかな喜びを覚えました。
日本各地の同志と繋がり、世界中の同志と結ばれ、地球上のそれぞれの土地に根づいた文化を尊重しあう共生共助の世界を創るのが夢です。
日々の生活雑記
今日、裏山のはやした檜と杉の用材を搬出しました。
榎本さんの会社(牟婁合同運送)のユニック付きトラックをお借りし、桑原さん、滝爪さん、榎本さん達が手慣れた仕事で材木を引き出し積み込みます。
あっという間に、4tトラックで3回分の材木が運び出されました。
この1か月余り、私一人では何もできないことが皆さんの手助けでどんどん進み、山仕事に一区切りがつきました。
山の神々と共に暮らせる環境が整いました。
搬出した材木は、用材として武道場の改修に使います。
木々の命を武道に生かしていきます。
そして、武道は私の生きざまになります。
先祖代々の御霊と熊野の山の神々と周りの人々によって、生かされていきます。
先日まで「むすびの里」に滞在していた、米国人のキアナ・スチュアートさんとロシア人のタチアナ・ビトコバさん。
キアナさんは、私が米国特殊作戦学校に留学中にお世話になったジェブ・スチュアートさんの娘さん。当時は5歳。今、米国陸軍士官候補生としてウエストポイントから防衛大学に留学中。わざわざ、熊野まで訪ねてきてくれました。
タチアナさんは、私がモスクワ大学の武道クラブに、武道指導に行ってた時の弟子。今は数学者としてモスクワのIT企業に就職し、1か月の休暇を取って、わざわざ熊野まで訪ねに来てくれました。
飛鳥と五郷の人たちとともに猪鍋を囲んで語り合い
彼女達から見れば、飛鳥のおじいちゃん達から山仕事を教えてもらいながら
二人が力を合わせて、楽しそうに仕事に精を出す姿。
世界の平和は、こうした人と人の「むすび」から始まるのだと思います。
上2枚の写真は、戦場カメラマンの横田徹さん。
神武東征(荒谷謹解)
神武天皇は、長兄長兄五瀬命、次兄稲飯命、三兄三毛入野とともに
日向を出発し河内国草香邑白肩津に上陸し
大和を目指すが、孔舎衛坂で長髄彦と激戦
この戦いで、長兄五瀬命は負傷し竈山にて崩御
日に向かって戦うことを避けて戦うべく、紀伊半島を海路迂回
先ずは天磐盾(新宮)に上陸し状況把握
熊野灘を海路迂回するも熊野灘で海難に遭遇し
次兄稲飯命、三兄三毛入野命、自ら海に身を投じて崩御す
残された彦火火出見命(神武天皇)は荒坂津に上陸
しかし、熊野の神の毒気に卒倒し、皇軍復振不能に陥る
これを心配した天照大神は、建御雷之神に命じ、聖剣「韴霊」を熊野の高倉下(たかくらじ)に与えて神武天皇に届ける
すると神武天皇は目を覚まし、続いて皇軍士卒もまた復醒する
今時代は、日本人が覚醒する時です。
むすびの里の武道場の名称を「韴霊道場」とした所以です。
先日、神武天皇上陸之聖跡碑跡がある楯ヶ崎と、伊弉冊尊を御祀りする花窟神社前の七里御浜で奉納演武をしました。
写真撮影:戦場カメラマン横田徹
サザンカが山を彩る季節になりました。
さて、私の熊野での生活は、山仕事から始まりました。
山仕事の先生は、同じ自治会の滝爪さん(72歳)。
滝爪さんから学ぶ日々の仕事は、人間が自らの体験を得て身につけた叡智の塊です。
今日は、薪ストーブのための薪置き場を作るため、杉の木を縦半分に引き裂くやり方を教えてくれました。
以下は、次に出版予定の私の著書の一部です。
子供のころ、私は勉強が嫌いで、授業中も落ち着きがなかったので、小学校でほぼ毎日廊下に立たされていました。しかし、廊下に立たされると、これ幸いとばかり、そのままどこかへ行っちゃうものだから、今度は職員室で正座です。ですから、職員室では教職員並みに『顔』はよく知られていました。
中学校でも相変わらず授業に飽きて勉強に集中できず、よく先生の拳骨(げんこつ)を食らいました。
楽しみは山、川、田んぼでの遊び。遊びといっても、ワラビ、ゼンマイ、フキ、ミズ、ボンナ、セリ、タケノコなどの山菜採りや、クリ、クルミ、アケビ、サルナシなどの果実、川ではドジョウやエビ、ヤツメウナギ、ナマズなどを捕まえて夕食のおかずにするのです。
学校の行き帰りは、人の庭に生えている柿やブドウ、ナツグミ、スモモなどを収穫し、食べながら通学するのが日常でした。
祖父の畑仕事の手伝いも楽しい日課でした。祖父と自然から多くのことを学べるからです。専業農家ではないので畑は小さかったけれども、大根、人参、茄子、白菜、サヤエンドウ、キャベツ、トウモロコシなどの野菜はもちろん、イチゴ、ウリ、スグリ、クコ、イチイなどの果実もいっぱい実り、いつでも食べ放題でした。家の汲み取り式便所から肥やしを桶(おけ)に汲んで畑にまいたり、野菜についた昆虫は採集して、虫カゴで育てて観察しました。
ニワトリとウサギの世話は私の仕事でした。ストーブに使う薪はノコギリで斬ってナタで適当な大きさに割ります。男児としての尊厳を守るため、たまにする喧嘩も大事なことでした。
これらのすべてに「学び」がありました。その時々に目的を持って自由に考え、工夫し、試した結果を自分で確認し、それを改善して再び挑むことで、自分の成長を実感することができるのです。
他方、学校の教育では、特定の人為的尺度、つまり試験やテストの成績で成長を評価されます。
テストの正解だけが絶対的価値を持ち、それ以外の答えはすべて誤りとされます。成績が悪いと、人間として劣っているのかのようにみられることもあります。
このような環境では、知識の蓄積はあっても人間としての成長を感じることはできません。決められた答え以外は間違いとされる監獄で暮らす囚人が、模範囚となるためにせっせと正解といわれるものを覚える努力をしているようなものです。これでは、どんどん自己を失い、人間本来の内面の成長が置き去りにされてしまいます。
これは、「憑依(ひょうい)」という状態に似ています。一般的には、取り憑(つ)くのは、おどろおどろしい悪霊や霊媒と思われがちです。しかし、本来は、自己の本来の意思を何者かに乗っ取られる状態です。
現代人は、啓蒙という価値観の強要教育によって、また何者かに支配されたメディアの情報によって、本来の自己意思による思考や判断力を失い、与えられた価値観に思考や判断が支配されているように思えます。
自ら体験し考えて確かめた尺度によらず、ほかから与えられた尺度に依拠(いきょ)した思考や行動は、まさに現代特有の自己喪失した「憑依」状態だと思います。
とはいえ、与えられた価値観と思考方法を身につけなければ、学校のみならず役所や会社の評価が下がってしまうので、多くの人は自らすすんで「憑依」を装います。そしていつの間にか自己の主体性を放棄することになってしまいます。私もまた「こんなことを覚えてどうするんだ!」と思いながらもいやいやながら勉強を続け大学に進みました。
気候風土や歴史伝統文化、つまり人間の叡智を無視した社会思想や法制度、利便性だけを追求する生活環境、マネーに縛られる価値通念に疑問を持っていた私に転機が訪れたのは二〇歳のころでした。
それは、成田闘争と三島由紀夫でした。成田闘争では、政府と戦後保守はマネーと法制度を理由に、左翼は主義思想を理由に、先祖が開拓し継承してきた共生の農地を守りたい農民の意思をまったく無視して実力で踏みにじりました。
三島由紀夫は、このような外来保守と外来左翼を厳しく批判し、「文化防衛」を主張しました。最近は、外来種生物が、自然環境を破壊しているとして問題視されていますが、いちばん問題が多い外来種生物は、外来思想に憑依された日本人です。
一人ひとりの人間が主体的に生きるためには、自分の体験と思考を元に成長していかなくてはなりません。現実には、私たちは社会集団として生活していますから、社会集団としての体験と思考は慣習として継承されます。これが、伝統・文化(ローカル・スタンダード)と言われるものです。
私は、グローバル・スタンダードといわれる尺度や規範に従って生きるのではなく、自らの学びと経験から尺度と規範を見いだし、自分がどう生きるべきなのか、社会はどう在るべきなのかを真剣に考えようとしたのです。
そう決意したとたん、今までの自分が、なんと主体性がなく、思考の自由がなく、他律的で勇気がなかったかを理解することができました。
今、私は60歳を間近にして、本当の日本人としての「学び」に、日々、幸福を感じています。
おまけ
はやした木の枝にセッコクが生えてました。
きれいな花を咲かせるよう大事に育てます。