草地を開墾した畑の野菜が育ち、実りを戴けるようになりました。
カボチャ
在所共同体の生活は、その土地の自然風土、産土神達(土地のエネルギー)、歴史と未来、祖先と子孫、全ての生き物と一体となって生きる日々です。
その土地の歴史を継承し、未来を創造するため、その土地の生命活動に加わり、自然と人々が一体となって生を全うします。
在所共同体の生命活動は、人間が地球そして宇宙の生命活動に参画するものです。生を頂戴し命を育む日々に感謝です。
日々の生活雑記
仲間の伊藤三輝君のお爺さんが、手作りの檜風呂&杉風呂を「むすびの里」に寄付してくれたことがきっかけで、「むすびの里」露天風呂プロジェクトが立ち上がりました。
とはいっても、何しろ資金がないものですから、地元の皆さんのお手伝いと仲間の皆さんのよびかけによる募金によって実現したものです。
お風呂の燃料は薪。
本日、ついに薪窯に火をいれました。
火入れをしてから1時間、湯量1000リットルの檜風呂をお湯で満たすのに30分、きれいなお湯が張った檜の露天風呂にみんなで入りました。
奇麗な新緑を眺め、大又川の川の音を聞きながら入るお風呂は最高でした。
まさに、多くの方たちの「むすび」の力でできた「熊野飛鳥むすびの湯」!
御恩に感謝し、多くの方に入っていただきたいと思います。
皆さん!「熊野飛鳥むすびの湯」にどうぞおいでください!
なお、小野さん、小牧さん、葛城さん、宮本さんが呼びかけ人となって活動している「露天風呂募金」は、締め切りが8月末までとのことです。
三重県熊野市【楯ヶ崎と海金剛】
「日本書紀」に曰く
瀬戸内海を渡り、難波から上陸し大和を目指した神武天皇一行は、長髄彦(ナガスネヒコ)の抵抗に会い退却します。
この際、長兄五瀬命(イツセノミコト)が矢に当たり負傷して崩御。和歌山市の竈山に葬られます。
日を背にして大和に向かうべく、紀伊半島を迂回した神武天皇一行は、先ず、新宮の天磐盾(アメノイワタテ)にのぼり敵情を把握。開豁した七里御浜を避けて海を北上しますが、海難に会い、次兄稻飯命(イナイノミコト)、三男三毛入野命(ミケイリノノミコト)は、海難を鎮めるため自ら海に入水します。
神武天皇も目にしたであろう熊野の海岸線
それはちょうど、三重県熊野市有馬の花窟神社に葬られた伊弉冊尊(イザナミノミコト)の前あたりでしょうか。
そして、最後に残された四男神武天皇が大泊~新鹿~楯ヶ崎のあたりに漂着し、そこから陸路、橿原に向かわれ大和を創建されます。
熊野は山川だけでなく、海も神話の宝庫です。
楯ヶ崎の目の前で鯨が迎えてくれました。