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カテゴリー: 日々

日々の生活雑記

田んぼ

むすびの里では、森の仕事が一段落つきました。
これから、伐採した木を使って作業小屋、あずまや、露天ひのき風呂等を立てる予定です。

伐採した『キハダ』のきれいな黄色

3月からは、田んぼの仕事が始まります。地元の皆さんのご指導を受けながら美味しいお米を作りたいと思います。
仲間の皆さん!お手伝い宜しくお願いします!!
将来的には、高齢化により休耕になっている田んぼを少しでも復元していきたいと思います。
その土地の自然の神々、ご先祖様、人々、一緒に仕事をする仲間、それらすべてとの共生創成生活としての「農」。
それが日本を復元させる一つの道だと思います。

休耕田の稲わらを搔き集めて夢への飛翔

子供の仲間のむすびの里感想文

年明けから、多くの仲間が、むすびの里を、入れ替わり訪ねてくれました。
むすびの里の仕事づくめで2週間以上滞在した仲間もいました。
皆さんありがとうございました。
その中で、中学1年生の仲間の優希が、むすびの里の感想文を書いてくれましたので紹介します。


<感想文>
私は、熊野飛鳥むすびの里でたくさんの初体験をしました。その中で、特に印象深かった事は三つあります。
一つ目は、薪ストーブです。ガスストーブを見た事はあっても、本当に木を燃やして暖める薪ストーブを見たのは初めてでした。はじめは火が怖くて、怖さと興味が半々くらいでしたが、火の番に慣れてくると、自分でひょいひょいと薪を入れる事が出来るようになりました。薪を手で直接ストーブの中に入れるのは、怖くて出来ませんでしたが、次々と形を変えていく火を見るのは本当に飽きなくて、とても綺麗でした。食後に皆でストーブを囲むと、まったりとした雰囲気が良くて、心も温まりました。都会と違って沈黙も全然嫌ではなく、落ち着いた良い空気を作り出してくれていました。
二つ目は、花の窟神社のお綱掛け神事です。イザナミノミコトが亡くなったという日本書紀にも載っている、日本最古の神社の一つにワクワクしました。お綱掛け神事では、その場にいる人全員で、御神体の大きな岩(数十メートルはある)のてっぺんから海岸まで綱をかけました。はじめは皆で持っていて、ほとんど手を添えるだけだったのに、綱が少しずつ空に持ち上がって行くうちに鉛のように重くなっていって、持つのが大変でした。しかし、自分たちがかけた綱は壮観で、日の丸の扇や花が垂れ下がっていて、とても綺麗でした。それに、皆で神事に参加することで連帯感が持てた事が嬉しく、参加出来て良かったと思いました。
三つ目は、荒谷先生の特別稽古です。冷たい空気の中、ピリッと心身共に引き締まりました。しかし、先生の話と呼吸法を教えてもらっている間に足がしびれ、父子共に転んでしまいました。恥ずかしい限りです。合気上げや片手持ちの投げ技を教えていただきました。最近の稽古でも思いましたが、まだまだ力任せになっていたり、相手の人が自分から投げられようとしている感じがしました。しかし、荒谷先生と大石さんに脇を締める大切さや、体の動きを細かく教えていただいたので、最後の方は少し上達したと思います。この稽古で教えてもらった事を忘れないように、父と練習しようと思いました。身を入れて稽古に励んで、早く初段になりたいです!
熊野は本当に自然の恵みが豊かな土地だと思います。山や海に近く、とても綺麗な川がすぐそばを通っています。夜はプラネタリウムなんて目じゃないほどの、一つ一つが大きい満天の星を見ることが出来ました。それらを日常的に見ていたであろう、昔の人が羨ましくなるほどです。荒谷先生が少しおっしゃっていましたが、今の日本人は西洋人の暮らし方をしているので、様々な点で効率が悪く弱くなっているそうです。私も、たった一日薪割りをしただけなのに、手にまめが出来たり、自分が思いの外寒さに弱かったりして驚きました。熊野の自然を見ていると、西洋化や利便性の向上が、少しもったいなくなりました。日本人にあった生活をすれば、綺麗な自然を見ることが出来るからです。熊野での生活は、日々の雑念がすっかり取り払われる、濃くていい時間の過ごし方が出来ました。まるで自分の田舎のようでした。これからも、機会を見つけては行事に参加したり、訪れてお手伝いをしたいです。熊野が行き過ぎた都市化や、人がいなくなる過疎化をしないように、私もこれから出来る事をしたいと思います。


優希、ありがとう。
またきてくださいね。

図書館・研修室「士卒復覚塾」完成

「むすびの里」での、修学や講習会で使用する図書館兼研修室「士卒復覚塾」の壁の全面塗り替えと床の改修が終わりました。

壁は、水戸の株式会社「根子左」社長根子清さんの薦めてくれた自然素材漆喰系珪藻土「エコ・クイィーン」を地元のベテラン左官の平谷さんが塗ってくれました。
それまで、湿気で黴臭く本も弱ってしまうほどの部屋が、匂いも湿気もない快適な部屋になりました。
本当に素晴らしい効果です。根子さん、平良谷さん、ありがとうございました。

さて、「士卒復覚塾」の名前は、古事記の神武天皇東征のお話に由来します。
『神武天皇と皇軍が熊野に上陸し大和へ向かう途中、熊野の神様の気に中てられて気を失ってしまった時、天照大神と高木神の命令で建御雷神(タケミカヅチノカミ)の刀(フツノミタマ)を高倉下(タカクラジ)に高天原から降ろし、神武天皇のもとへ持って行かせた。すると、神武天皇は目を覚まし、皇軍士卒も再び目覚めた。』というお話です。
今の日本は、日本人が日本人であることを忘れかけたがために、国内外の毒気に中てられ、日本人としての問題の解決策を見失った状態のように見えます。
現代の諸々の問題を解決するためには、毒気を含んだ理屈に振り回されることなく、日本人が日本人として目覚めることこそが必要なのだと思います。

そのような思いで、「むすびの里」の学びの場を「士卒復覚塾」としました。
私は、「むすびの里」を、先に修理を終えた「韴霊(ふつのみたま)道場」で心身を錬磨し、「士卒復覚塾」で知能を啓発し、日本を救済し世界を平和へと導く人間育成の場としたく思います。

花の窟神社例大祭・お綱掛け神事

本日、世界遺産「花の窟神社例大祭」に参列し「お綱掛け神事」に、むすびの里滞在中の仲間、新井さん一家、星さん、菅さん、熊田君等と9名で参加させていただきました。

花の窟神社は、日本書記に「一書曰 伊弉冉尊(いざなみのみこと)火神を生み給う時に灼(や)かれて神退去(さり)ましぬ 故(か)れ紀伊国 熊野の有馬村に葬(かく)しまつる 土俗(くにびと)此神の魂(みたま)を祭るには 花の時に花を以って祭る 又鼓 吹幡旗(つづみふえはた)を用て歌い舞いて祭る」とあり、イザナミノミコトの御陵で日本最古の神社として祀られています。

お綱掛け神事は、日本一長いともいわれている長さ約170メートルの大綱を岩窟上45メートル程の高さの御神体から境内南隅の松の御神木にわたす、太古の昔から行われている神事です。

本当に素晴らしい体験をさせていただきました。
ありがとうございます。

次回の「花の窟神社例大祭・お綱掛け神事」は、10月2日です。
皆さん一緒に参加しましょう。

むすびの里の紅梅の花一輪が開花しました。

季節としての四季は、単に春夏秋冬を毎年繰り返すサイクルではありません。今年の竹林は去年なかった若竹が勢いよく生え、落葉樹の葉は新しい若葉です。自然界のすべてが一年をかけて成長して変化しているのです。
人間も、自分自身が自然の一員としての体験を積み重ねれば、周囲の変化の中に、常に新しい発見があり、その発見を通じて自分も成長していることがわかります。日々、草木が成長するように、自然の一員たる自分も一年分の経験を積み重ねて着実に成長しています。心も身体も、決して去年の自分に戻るわけではありません。つまり、四季は繰り返されるサイクルではなく、経験という成長のスパイラルなのです。自然の変化はすべてが成長であり、自然とともに生きて成長する「学び」は豊かで無限です。

還暦祝い

飛鳥町小阪本郷皆さんと本郷の庚申さんで還暦祝いをしました。

お祀りの後は、「餅まき」。

還暦祝いの人と厄払いの人が、郷の人たちに向かって一斉に餅とお菓子をまくと、みんなそれを拾い集めます。
この時、まき手もひろい手も一つになって喜びます。とても気持ちの良い伝統行事です。

少しずつ、飛鳥の共同体の一員として認められていく喜びを感じた一日でした。

新年のご挨拶

新年あけましておめでとうございます。

新しき年、新しき月、新しき日に当たり
飛鳥神社の歳旦祭に参列させていただき
御皇室と国民一丸となっての弥栄を祈願いたしました。

熊野飛鳥むすびの里
おやじ荒谷卓

新年の抱負

私は、昨年10月、同志と共に、三重県熊野市飛鳥町に移り住み、共同体創りを実践することにしました。
ここでは、交換価値という資本主義的な尺度から離れ、「相互に助け合うこと」「世のため人のために力を尽くすこと」に価値を見いだし、共に生活し共に生きることで、自らの内に守るべき日本を顕現します。
私たちが守るべき日本は、主権、国民、領土などといった近代に作られた抽象的概念ではなく、文化、伝統といった日本が日本たる実態です。なぜなら、自分が日本人になることなくして日本を守ることなどできないからです。
せっかくですから、夢は高く持って、日本全国、さらには全世界において、自立した文化共同体社会をそれぞれの自然風土の上に打ち立て、相互に敬意と信頼で結びたいと思います。これによって、ひとつ屋根の下に全人類が共生できるよりよい世界を創造することに貢献しようとするものです。
私たちは、今後手を携えていく同志と共に、この活動を通じ、ポスト・グローバル資本主義の時代を「大丈夫(ますらお)」の気概を持ってリードする実践的挑戦者として自己を位置づけ、伝統慣習文化の上に未来を築く現代の武人(たけきひと)でありたいと思います。

今、私たちが見ている星の多くは、人類が生まれるより前に消滅しています。その星々が活きていた過去に生成され、放出されたエネルギーが、数億、数十億光年かけて、今の宇宙を循環している様を私たちは見ているのです。
同じように私たちは、過去に祖先が創造してくれた無形・有形の遺産のおかげで、今に活きています。そして、今、私たちが為している活動が、未来の子孫のために役立ちます。
私たちが今為している創造活動が、全体として統合されたエネルギーになるには「時」が必要です。異なる時代の複数の場所から生まれたエネルギーが、ある時、ある場所で結びつき統合される。つまり「時」は、遠く離れた空間にあった個々のエネルギー活動を統合する次元軸です。
そう考えれば、過去の人々の意思と行動がエネルギーとして今の私たちに還元し、今を活きる私たちの意志と行動は一体と成って、未来のエネルギーを創造していることがわかります。
今の私たちの意志は、今すぐ成果として顕れなくとも、エネルギーとして「時」を循環し、いつか未来の人たちと一体となって輝きを増します。
「時」は、空間と時代を超えて個々のエネルギーを循環させ統一するフィールドであり、過去の今が現在の今に還元し、現在の今が未来の今に還元するのです。

「今」を大事にすることは、過去の出来事に意義を持たせ、よりよい未来を作ることにつながります。逆に「今」を無駄にすることは、個人のみならず人類の、そして地球の自然の営みとこれまでの努力を無駄にし、子々孫々の未来を破壊することにつながるのです。
「今」この時に、人間一人ひとりが何かを為すことは、「時の中心力」を増す、とても意義のあることです。
祖先の霊エネルギーが今の私たちと一体となっているように、未来の誰かのため、地球のために力を尽くすことで、私たちの産霊エネルギーは子孫の中で生き続けます。
過去から未来に生きるすべてのものとの一体感を自覚し、今この時に力を尽くす。それが、私たちが宇宙に生まれてきた重要な意義だと思います。
私たちは、物質としての肉体の共有はできませんが、心や精神や霊の共有は可能です。光エネルギーも、熱エネルギーも、力エネルギーも、物質のような境界はなく、交われば統合された一つのエネルギーになるように、私たちの意志のエネルギーも交われば一つのエネルギーとして統一した力になります。
「自分のために」というエネルギーは、ほかの人と共有できないので広がりを持たず、その人の死で終わります。
「世のため、人のために」力を尽くそうという思いは、人類と自然の成長発展に貢献しようという思いにつながり、そこから生成されたエネルギーは、同じ時代に生きる人々のみならず、時を超えて生きる人々の心をも感化し共鳴させます。そして個々人の努力が一体化して地球と宇宙を創造し続けるのです。
一人ひとりの努力は、ちっぽけなものではありません。私たちは、「今」という「時の中心」に存在しています。私たちが「時の中心力」なのです。その時の中心力を増せば、歴史は力を増します。私たちが中心力を減衰させれば、歴史は力を失います。
今が、「時の中心力」であること自覚し、力を尽くせば、人類の歴史に光をともし、よりよい世界を創造し、地球と宇宙を進化発展させることができると信じ、この新たな1年、一日一日を精いっぱい生きてまいります。

おやじ 荒谷卓

自衛官合宿終了

12月24日~30日の間に開催された自衛官合宿が終わり、60名の参加者全員、大きな成果を持って帰路につきました。

合宿の最後には、地域への奉仕活動として、県道52号線から七里御浜を眼下に見る長尾山に至る林道の清掃奉仕。

最後の宴は、その日の朝、熊野灘で捕れたワラサとカツオ、さらに赤倉水産のアマゴで杯を交わし、仲間の絆を確かめ合いました。

これで、国の守りは大丈夫!