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投稿者: 大石裕司

ホームページの更新について

最近のホームページ更新についてお知らせします。

施設紹介に写真を補充しました。
施設写真を数枚ずつ配置したのでご覧ください。

◯仲間専用ページのリンクを設置しました。
メニューに仲間専用ページのリンクを作りました。
仲間の皆さんは、メニューから選択してログインしてください。

◯トップページのメッセージを更新しました。
おやじのメッセージを更新しています。
近日中に動画にしたものを公開する予定です。

よろしくお願いいたします。

以上

4月6日むすびの里勉強会の内容について

4月6日17:00~19:00に、第2回むすびの里勉強会を開催します。

第2回むすびの里勉強会

今回の内容は、以下のとおりです。

1.年金運用の実態について

実際に年金運用を担当しているトレーダーの方による、現在の年金運用のお話です。1/1,000,000秒に1回、1銭単位の金融取引を行う高頻度取引の話など、現在の金融市場の驚きの実態や、その市場に巻き込まれている年金運用について解説します。

2.戦後日本の防衛政策について

おやじ(荒谷)が自身の実務経験をベースに、戦後日本の防衛政策について解説します。

当日参加も可能ですが、懇親会の準備が必要なので、できれば申し込みをお願いいたします。

こちらのフォームよりお申込みできます。

春のキャンプ教室終講

3月29日~31日にかけて、むすびの里キャンプ教室を開催しました。
飛鳥の子供と東京の子供たちがテント生活で3日間共に暮らしました。

29日。
先ずは、テントの設営から。初めてのテント泊の子もいましたが、みんな立派にテントを張りました。
テントを張ったら、夕飯の準備。ご飯は飯盒炊飯とカレー。箸づくりや火起こしも自分たちで。
バーベキュー場で、美味しいご飯をいただきました。
夜はテントで爆睡。朝方寒くて目が覚めた子も。

30日。
昨日作っておいたおにぎりで朝食。
午前中は、歩測で距離を測り、コンパスで方向を確認。山の中でもちゃんと方向と距離を維持できることを確認しました。

午後は、ロープ・ワーク。もやい結びなどできるようになりました。

夜は、地元の猟師さんが獲った鹿肉の丸焼きとアユの串焼き。とっても美味しい食事でした。
夜は雨の中テント泊。

sdr

31日。
食事は毎食、食前感謝と食後感謝を皆で唱和。
「朝宵にもの食うごとに豊受の神の恵みをおもえ世の人。ごちそうさまでした。」
テントをかたずけ、使った場所を掃除して終了。
大又川で冬眠していたサワガニも見つけみんなで遊びました。

皆さんご苦労様でした。
それぞれいい思い出ができたと思います。

むすびの里開花宣言

ようやく、むすびの里の桜が開花しました。
この1か月、毎日何度も、つぼみの様子を見ては「もうすぐかな?まだかな?」と、わくわくしながら桜の花の成長を見守ってきました。
それだけに、本当に晴れやかな気分です。
こぶしも花を咲かせました。

昔の人は、田植えの時期に神様が山から下りてきて桜を咲かせると言い伝えたそうです。
だから、神様にお酒をお供えし、直会としてお酒をいただいたのが、花見酒の起源だとか。
今私たちが何気なく行っている風習の多くは、稲作と神様が起源なのでしょう。

熊野市飛鳥周辺の歴史

三重県友の会熊野支部の開催する史跡研修に参加させていただきました。
ここ飛鳥一帯は、京都から見ると吉野の奥に当たる地域。
吉野に皇居を構えた南朝の人々が、今日の勢力に追い詰められて行く先は、北山を経て熊野市の流谷(五郷~飛鳥一帯)になるのでしょう。
昔は、役行者も通ったであろう修験の道「大峯奥駈道」を敵に追われてくる道のりは厳しかったはずです。

飛鳥町には、後南朝の皇子たちの遺跡が多く残されており、特に南朝最後の皇子「市河宮尊雅親王」終焉の地「光福寺」は感慨極まるところであります。
また、五郷の隣の神川町には後醍醐天皇の皇子「大塔宮護良親王」がお隠れになった竹原八郎屋敷跡が「花知神社」として残っており、護良親王と竹原八郎が祀られています。

南北朝の時代は、今の私たちに、たいへん多くの教訓を示唆してくれます。
「天下は破れば破れよ。世間は滅びば滅びよ。人はともあれ我が身さえ富貴ならば」
これは、日本史上最も穢れた足利治政下の世情を現したものです。
まさに、南朝が滅びると時を同じくして応仁の乱がおこり、日本は「和」の利他の文化を捨て、下剋上に象徴される利己主義に覆われます。
「国は破れようが、社会が滅びようが、自分さえよければそれでいい」という現代の日本の世情は、まさしく、日本史上もっとも醜かった戦国時代に酷似しています。
天皇陛下の大御心を無視する政治に支配されると、日本は醜い国に成り下がるのはいつの世も同じです。

このような人心が乱れた世を修理固成できるのは、天皇陛下とその大御心に副い奉る国民しかおりません。
最後まで、南朝天皇と皇子を支えた流谷の人々の偉業を、私は継承したいと思います。

むすびの里の「みことのり」講習会終講

3月21日~24日まで開催した「むすびの里の『みことのり』講習会」が終講しました。
高校生から69歳の方まで、また、ご夫婦での参加も4組、計14名の参加をいただき終講いたしました。

今回の講習会では、日本史を「みことのり」の視点から講習しました。
日本は、万世一系の天皇をいただく世界でもっとも歴史が長い国、と言われますが、多くの方が、それを概念的あるいは形式的にとらえているのではないでしょうか。
しかし、神勅から御歴代天皇の「みことのり」を一つひとつ読めば、すべての天皇様が、皇祖皇宗の御意志を継承し、おおみたから(国民)の慶福を自らの御使命として全身全霊を傾けてきた歴史が具体的にわかります。
国民の側もまた、こうした天皇の大御心に対し、少しでも報いたいという高貴な「報恩感謝」の精神文化を持っていたからこそ、日本は君民一体であらゆる国難を乗り越え弥栄の道を進んで来れました。
このことが、参加した皆さんに伝わったことは何よりでした。
「天の下に一つの家のような国を創り為す」という神武建国の崇高な理想に向かい、一人一人が日々努力する。
できるかできないかなどという合理的な判断ではなく、それが正しいから一歩でも進めるように努力する。
これが、日本人の美しい生き方です。

また、研修期間中に、四半世紀にわたり熊野古道の整備や研究に取り組んできた「熊野古道の語り部」三石学さんの案内による熊野史跡研修も執り行いました。
私たちが気が付かずに通り過ぎてしまうような小さな歴史の遺跡を、丁寧にわかりやすくご説明いただき、参加者全員、熊野の歴史に感銘を受けました。

講習会の最後は、有志の皆さんによる「禊行」。
まだまだ、朝の気温は2度。瀬織津姫(せおりつひめ)が坐す様な大又川の速川之瀬の中で「禊」し、清く明るく正しく直き気持ちになりました。

講習会の中日には、菅家一比古先生の率いる「美し国」の皆様や、飛鳥の地元の皆様との合同懇親会も開催しました。
『むすびの里』では、このように、多くの方たちの「むすび」を創り、よりよい社会の創造の輪を広げてまいります。

【仲間の紹介】 練木栄司さん

『練木栄司』さん

大学卒業後に、浜松のピアノ工場、その後ヤマハ系列の楽器店で音楽教室運営マネージャー業務兼営業をやっていました。3歳から兄の影響でピアノを習い始め、兄はクラシック音楽家、教育者の道を歩み、私は市井の人として、音楽道を追求しています。

6年前から大学サークルの後輩である理科大音楽サークルの指導を自主的に始め、それまで指導者もなく活動していた後輩たちがメキメキ上達成長して行ったことが何よりも嬉しく、後輩たちがもっと上達成長する役に立ちたいと思っている時、導かれるように明治神宮至誠館で荒谷先生と出会い、武道と音楽道の共通性、さらに永遠の成長を目指す神道の考えに触れ「これだ!」と目が覚める思いでした。

「芸術とは無窮を究めることである」
日本画家横山大観先生の言葉のように、また「無知の知」己が何も知らないことを知り、学び続けること。むすびの里の皆さん方と共に学び続けていきたい、と思っております。