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【仲間の紹介】坂田修作さん

【経歴】
1986年 京都大学農学部水産学科卒業。
同年、ENEOS株式会社(旧日本石油)にバイオ研究者として入社し、微生物発酵生産プロセスの研究開発に従事。事業化につながる培養方法の開発に取り組む。
1988〜94年 ヒラメ養殖およびヒラメ成長ホルモンなどバイオ製剤の研究開発・応用を担当。北里大学水産学部(岩手県大船渡市三陸町)および東京大学海洋研究所にて受託研究員として、現場に根ざした研究に従事。
1994〜2002年 石油精製・下水処理に関わるバイオ排水処理技術の研究開発・事業開発に従事。製油所向けフェノールバイオ排水処理システム・下水処理システムの開発・普及、環境対応型浮上油回収装置の開発・販売などに取り組む。
2002〜11年 サケ色揚げ剤の発酵生産に係るシーズの社会実装化・事業化・販売を責任者として推進。プレイングマネージャーとして研究開発管理、FDAをはじめとする海外承認申請、イタリアCMOでの生産立ち上げ、欧州での販売先開拓などを陣頭指揮し、事業化を達成。
2011〜17年 細胞培養用培地の製造販売を行う海外バイオ企業の経営を担当。米国にてPresident & CEOとして経営管理、内部統制・リスクマネジメント、製造販売・研究開発体制の強化・ガバナンスに加え、事業開発責任者として協業先開拓、企業買収、海外拠点立ち上げを行い、事業規模の拡大を実現。その後、同事業の売却を経て、内部統制(ERM)のENEOS全グループ展開に従事。
2017〜19年 ENEOSグループ内における内部統制システムの普及・定着を担当。
2019〜22年 農林水産・地方創生への貢献を志し、単身山口県に移住。個人事業主として農家林家民宿「和樂の里」の運営や、わさび栽培の事業化を進める傍ら、行政・森林組合・JA等において農林水産業推進に係る業務にも従事。コロナ禍の影響で経営が難しくなり、「和樂の里」の拠点管理はいったん地元の集落支援員に託して横浜にUターン。
2022年〜現在 ENEOS時代にやり残した医療系ビジネスに従事すべく、株式会社JUNTEN BIOにおいて執行役員・事業開発部長として順天堂大学発細胞治療の社会実装化に取り組む。事業開発、医師主導治験サポート、知財管理、海外展開等を担当し、ライセンスアウトされたこともあり、2024年4月末にて契約期間満了退職。同年5月末より、SaMD・DTx領域に携わるべく心臓リハビリ医療機器アプリを開発する株式会社CaTeに所属し、同様に事業開発・海外展開を担当。2024年12月のロンドンでのアクセラレーションプログラムを最後に退職。
2024〜25年 社会構想大学院大学「地域プロジェクトマネージャー」養成課程にて地域事業の実践を学び、2025年3月に修了予定。
現在 東北大学ほか大学技術シーズの事業化アドバイザー、海外企業の日本進出サポート、再生医療スタートアップなどのアドバイザー業に従事しつつ、次のチャレンジを模索中。
日本安全保障フォーラム(会長:矢野義昭先生)賛助会員、食料安全推進財団(理事長:鈴木宣弘先生)会員、令和専攻塾(塾頭:山岡鉄秀先生)第5期塾生。

【自己紹介】
ENEOSでのキャリアの終盤に、責任者として長い年月をかけて育ててきたバイオ事業が、約300人の従業員とともに売却されるという出来事を経験しました。自ら心血を注いできた事業が、最終的には「金額」として評価され売買される現実を目の当たりにし、株主資本主義の本質を垣間見たように感じました。以前から「ビジネスとは何か」「豊かさとは何か」という問いを朧げながら抱いていましたが、この出来事を契機に、18世紀の産業革命以来の西洋文明が抱える矛盾に強い違和感を覚えるようになりました。そして、農山村・中山間地域には、まだ原形をとどめる共同体社会が息づいており、そこにこそ日本が取り戻すべき大切なものがあるのではないかと考えるに至りました。ご縁があって山口県岩国市周東町祖生地区の山村に移り住み、森林組合に勤めながら、わさび農業の開始や農家林家民宿の開業に取り組みました。しかし折悪しくコロナ禍の影響を受け、経営が立ち行かなくなったため、一旦首都圏に戻り、かつて携わったバイオ事業の次のステップとして、医療・医薬分野の仕事や大学発技術の社会実装支援などに再び取り組んでおります。現在も、近い将来なんとか地域に戻ることができるよう、準備を進めているところです。熊野飛鳥むすびの里が掲げる「共生・共助・共栄」の理念と、その具体的な実践に大変深い感銘を受けました。私自身も、農山村の共同体に根ざした日本再生の道を模索している一人として、この度、ぜひ末席に加えていただきたく参加を希望するものです。どうぞよろしくお願いいたします。