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稲穂が出てきました

発育が遅れて心配しておりましたが、暦通り稲穂が出てきました。感謝。

日本における米作りは、ただ作物の生産という意味以上のものがあります。

3大御神勅の一つに「斎庭稲穂の神勅)」があります。天照大神の孫にあたる瓊瓊杵尊が地上に降りる、つまり天孫降臨のときに、天照大神が高天原の神聖な田で収穫された稲穂の種とともに授けられて、これを地上でも広めて民が安心して暮らしていけるようにせよ、との神勅(お言いつけ)です。稲穂を以て、この世を天国や極楽浄土のように豊かで平安な地にせよとの含みがあります。他律的あるいは死後の救済にすがるのではなく、自分達の力でこの世を天国のようにしようとする日本人のあるべき姿を示しております。

心穏やかに仲睦まじく暮らすためには衣食住が欠かせませんが、なかでも食は必需品です。そのために稲穂の種を授けられた。つまり日本の稲作は、天照大神に種を授かったという神話から始まっています。だから、日本人にとって米は特別なものなのです。御歴代天皇は、国家の統治を「食國しろしめす」と表現なさっています。人々の食をたしかで豊かにすることが国を治めることの基本であると繰り返し詔しております。日本人にとっての稲作は、個人の収益事業としての農業ではなく、共同体の生命活動、和を育む実践教育の場、先祖から受け継ぎ子孫に伝え残す文化伝統、自然との共生の実践の場としての「農」なのです。「農」を通じてこのような価値観を共有できる人を一人でも多く増やしていく。それが日本の伝統的な共同体、生き方を取り戻す道だと思います。

私の祖先に、安藤昌益という人がいます。江戸時代中期の医師で思想家でもあった人物で、農業を中心とした無階級社会を理想としていました。彼は、万物生成の創造的自然のなかで、人間もまた、額に汗して自らの運命を切拓く主体的創造者として生きることを理想とし、「天地一和の直耕」を主張していました。鍬を持って自分の力で土地を耕し、自立して生きるのが人間として正しい姿だというわけです。仏教や儒教のように教典を読んだり勉強することで徳を積むのではなく、土と交わり、一所懸命農作業に身を置くことで人は徳を積むことができる、そういう考え方です。農をやることで、人間も自然の生成活動そのものに参加できます。そうやって作った米は、自分を養うだけでなく、ほかの人も養うことにもなります。子供や年寄りなど他者の命も自らの努力で養っている事実は、社会の中核的生産者としての自負と責任を自覚し、 生きていくための自信にもつながるものです。