神武建国記念日、まことにおめでとうございます。
日本民族の向かう「八紘為宇」の理想国家をお示しいただいたことに心から感謝申し上げます。
我々は、建国以来の日本民族の彼岸に向け全身全霊で力を尽くしてまいります。
日の昇る東より大和に向かうべく、紀伊半島を大きく迂回する途中、海難にあった熊野灘から漂着した楯が崎まで海路進みました。
難破して上陸した荒坂の津(楯が崎)から陸路、海難で海に身を投じて亡くなられた神武天皇の兄君稲飯命(イナヒノミコト)の御遺体をお祀りした室子神社、同じく御遺体は見つからなかったが波の穂を踏んで常世の国に去った神武天皇の兄君三毛入命(ミケイリノミコト)の御魂をお祀りした阿古師神社に参拝しました。
熊野に上陸し、神武天皇一行が道を切り開いて進んだで紀伊半島の険しい山岳路を三重県熊野市飛鳥町~北山~井光~川上~穿邑(奈良県宇陀市菟田野)と進みました。
穿邑では、神武天皇が最初に陣営を取り弟猾(オトウカシ)を呼び寄せた小高い丘から周囲の地形を鳥瞰、天皇を騙し打ちしようとした兄猾(エウカシ)を殺した菟田の血原(宇賀神社)を研修しました。
熊野から宇田まで、神武天皇太刀を案内してきた八咫烏(建角身命)を祀る八咫烏神社に参拝、その後、国見の丘に立ちふさがる八十梟帥の軍勢と陣地を眺望する為に上った高倉山近くの展望台から当時の両軍軍勢の配備を確認しました。
神武天皇最大の激戦地となった忍阪(女寄峠)を研修し、敵を奇襲する為墨坂方面から迂回作戦をした丹生神社一帯を研修しました。
その後、八十梟帥軍勢の予備軍が集結していた磐余村と敵陣を偵察する為に向かった天香具山を研修しました。
最後に、神武天皇御陵に参拝し、第二代綏靖天皇御陵、第三代安寧天皇御陵、第四代懿徳天皇御陵を巡り、久米邑伝承地、築阪邑伝承地を研修しました。