『永野聖』さん
西南学院高校から立正大学卒業。
昭和57年、第63期U課程で陸上自衛隊入隊、任官後、まことに恥ずかしながらお国のために全く役に立てず、「八十里 腰抜け武士の 越す峠」の心境で原隊の第104通信運用大隊無線中隊より除隊。
帰郷して広告代理店に勤務後、鹿児島県職員として23年勤務。ホテルマンとなるも、鹿児島県阿久根市が公募した一般課長職に応じて水産商工観光課長として市役所へ。公務員制度改革派と改革阻止派との根深い闘争の渦中で、記者クラブ・マスコミがいかに権力側と癒着して情報隠蔽と陰湿な印象操作を行い、疲弊する庶民の哀しみを尻目に既得権益をあさましく守るかを目の当たりに。
除隊後の歳月では、国旗国歌闘争に始まり、南京屠殺記念館への公立高校修学旅行阻止、南京百人斬り冤罪訴訟支援、反日教科書是正の社会運動に取り組む中で、日教組と自治労との戦いで「反面教師」にはじゅうぶん恵まれた。現在はフリーライターを「自称」しつつ、ほんの申し訳程度の会社務めを地元で。縁あって島根日日新聞に「オレンジビーチ」のタイトルで連載したパラオ・ペリリュー戦を描いたノンフィクションノベルを、5年ほど前に展転社から「絆抱くペリリュー・日本を愛する島」と改題後に単行本化していただき、靖国神社へ奉納できたのがこの歳月の僅かな成果。今は、昭和17年5月末にシドニーとディエゴスワレスを特殊潜航艇で襲撃して果てた若者達の物語を創作中。
むすびの里が颯爽と掲げる高邁な理念と国を愛う赤誠、そして確かに刻まれていく眩しい歩みに、文字どおり微力ながら敬意を払わせていただきたいです。
どうぞよろしくお願い申し上げます。