古事記・日本書紀によると、ここ熊野は、神倭伊波礼毘古命(カムヤマトイワレビコノミコト)後の神武天皇が東征に際し、最終的に上陸した地(熊野荒坂津)である。しかし、上陸するや否や熊野の神の毒気に当たり皇軍全員気を失う。そこに、天照大神の命により建御雷神(タケミカヅチノカミ)の剣・韴霊(フツノミタマ)を授かった熊野の高倉下(タカクラジ)が、その剣をカムヤマトイワレビコノミコトに届けると、皇軍士卒全員が覚醒した。そして、熊野飛鳥~五郷地域で態勢を整え、八咫烏(ヤタガラス)の案内で橿原にむけ進軍し、ついには神武建国の大業を成し遂げた。
「熊野飛鳥むすびの里」代表の荒谷卓は、建御雷神の神武を長年鍛錬し「韴霊の祓いの太刀」を磨いてきた。そして、日本人が日本人として覚醒し世界を一つの家とする人類共生社会の創成を目指している。よって、「熊野飛鳥むすびの里」の武道場は「韴霊武道場」といい、修学室は「士卒復覚塾」と呼ぶ。ここでは、日本文化を体顕し、人類と自然の共生の道を世界に広める気宇壮大な真の日本人を育成する。