三重県熊野市【楯ヶ崎と海金剛】
「日本書紀」に曰く
瀬戸内海を渡り、難波から上陸し大和を目指した神武天皇一行は、長髄彦(ナガスネヒコ)の抵抗に会い退却します。
この際、長兄五瀬命(イツセノミコト)が矢に当たり負傷して崩御。和歌山市の竈山に葬られます。
日を背にして大和に向かうべく、紀伊半島を迂回した神武天皇一行は、先ず、新宮の天磐盾(アメノイワタテ)にのぼり敵情を把握。開豁した七里御浜を避けて海を北上しますが、海難に会い、次兄稻飯命(イナイノミコト)、三男三毛入野命(ミケイリノノミコト)は、海難を鎮めるため自ら海に入水します。
神武天皇も目にしたであろう熊野の海岸線
それはちょうど、三重県熊野市有馬の花窟神社に葬られた伊弉冊尊(イザナミノミコト)の前あたりでしょうか。
そして、最後に残された四男神武天皇が大泊~新鹿~楯ヶ崎のあたりに漂着し、そこから陸路、橿原に向かわれ大和を創建されます。
熊野は山川だけでなく、海も神話の宝庫です。
楯ヶ崎の目の前で鯨が迎えてくれました。